2007-10-31

ちょいシャレビジネス哲学会 第59【セックス】29

【セックスを深く考えよう】29

(肌感覚)18

この虚弱児施設での想い出は、この「肌感覚」というテーマに関しても、多くのことを語ろうと思っていました。

でも、書く事はは他にもたくさんあります。

ここでは、ではどのようなことを虚弱児施設については、ここでも扱いたかったのかという事だけに触れておいて、 その想い出話は別のジャンルでも登場することをお約束して次へと歩をすすめてゆくことにしましょう。

たとえば、子供達はグループごとの部屋で食事をするだけでなく虚弱児施設の全員が大食堂で食べるときもあったのですが、 そこでは夕食時にテレビが見れます。  そのテレビの想い出のひとつが、そのころ始まった相撲です。 若乃花と朝潮太郎との試合あ一番人気で、先生方の中にめちゃくちゃな朝潮太郎のファンがいてそれもまたおかしかったのですが。

こういうふうに話し出すとまたこれだけで長くなってしまうんですよね。そこで相撲テレビ文化の原点とこの肌感覚との考察を深めてみるのもおもしろいところ、 これは次回の「健康とかスポーツとか体操」とかをつっこんで語るカテゴリーの時の話題のひとつとして ここでお約束しておきますね。
その時までのお楽しみに ということにさせておいてください。

あるいは、こういう話もここでの話題として考えてはいました。

わたしはその虚弱児施設に入る前までは ほとんど一週間に三日は小児喘息や気管支炎でヒーヒー言って寝込んでいました。

でもその心やすらぐ(そうそう、大學時代にいちどその施設を訪ねてみたことがあるのですが、当時の先生はお一人しか残っておられなかったのですが、その先生は「あの頃の子供達が一番子供らしかった」と楽しそうに語ってくれました。)その大自然の中の虚弱児施設では、

なんとわたしは たった一回しか、しかも軽い風邪の熱でしか寝込んでいないのです。 どれだけそこで心身、幸せな子供時代をすごせたかお解かりいただけるでしょう。

その風邪の時の 三日間のしずかな衛生室のとなりの和室での寝泊りがまたなんともわたしにとってすばらしい想い出のひとつとなっています。

やっぱりこれだけで長くなってしまいましたが、その楽しみの一つは
生まれてはじめて棚においてあった文学全集を読むことが出来たことです。

「十五少年漂流記」「アルプスの少女ハイジ」「家なき子」そして「母をたずねて三千里」。 わたしが どんなに胸をおどらせその世界に入っていったか、うむ  どうやって語ったらいいで笑。

ともかくその中の「母をたずねて3千里」という物語などは、 きのうまでの消灯時間でのあるお話とひっかけて、もっとつっこんでお話できそうなところ、これも「文学やシナリオ」についてのカテゴリーの時までとっておかせていただくこととします。  これもその時までのお楽しみに。

スキンシップとはまた別な 男女の心の通い合いの一部かもしれないような(うーむ)担任の女性の先生とのある心と心の通じ合いの世界も これもけっこう深いですよ。

書けばきりのないこの虚弱児施設での想い出話、ですが、ここでしばしお別れすることとさせていただきます。

あしたは、母親のスキンシップの世界についてです。

父親のスキンシップも重要な世界の一つですが、それは今回の第一弾の「セックス」カテゴリーでは予定していません。 それは重要度による選択からではなくて、じっくりと充分に考察されるべき課題だというかんがえによるものなんです。 そのへんどうかご了承ください。 このブログの全体の表現構成によるものです。

では、またあしたのこの時間も おたのしみに♪


                   哲歌隊長浩 こと中村浩。

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genre : 政治・経済

2007-10-30

ちょいシャレビジネス哲学会 第58【セックス】28

【セックスを深く考えよう】28

(肌感覚)17

◎すみません、 昨日の「編集後記」で触れましたQ&Aのコピペは取りやめにしました。 

そのサイトのURLをコピすれば、自由にそちらもここから見に行けるということも ネット音痴すぎることなのでしょうが、 今まできがつきませんでした。 昨日の夜に あ   と気がついたんです(笑)。

OKウェーブという日本最大のQ&AサイトURL等の紹介は、今日の「編集後記」にて紹介させていただきます。


「性教育の倫理性」というタイトルで、mikoーdesiさんというかたが質問した内容へのわたしの回答への再コメントを読みまして、 前から複雑な書き方をする人だなと思っていましたが、  その原因が解りました。 この形の議論をそのまま、こちらの順序良くわかりやすくをモットーとした哲学の広場に持ってくることはできません。

それで どうしようかと迷っていて やっと やっとこ あ   と気がついたんです。 なんなんでしょうね。このネット音痴ぶりは?


でも ともあれ その「性教育の倫理性」に関して、 回答者の中で、共産主義や社会主義の考えの人達 またフエミニストと呼ばれてる人達が、反家族
主義の宣伝に性教育を利用していることへの批判とかが、批判されていて、

それに対して、そういう人達ばかりが性教育にたずさわっているかに思える発言はいかがなものかという回答者どうしの討論の芽生えのようなものがありましたので、

その点は、きょう、ここで少し取り上げておきます。

わたしは、もしこの虚弱児施設で 家族外の方々の心ある援助に触れなければ、そのまま病弱で死んでいたでしょうし、心も廃人となっていたことでしょう。

家族という最初の小さな社会単位は、言葉を最初に覚える場所としても大きな役割を果たしていたりしますが、ほかにもっと大きな役割を担っていたりもします。 でも、そこには、いざ社会の大きなマイナスの荒波には対応できない小さな場という限界もありますし、 もう1つ、いわゆる家族病理とも呼ばれている「子供を所有してしまう心理」とかも働きやすい場所でもあるんです。

そうした事から言えば、イスラエルのギブツのような、家族から子供達を切り離して 幼いうちから社会生活や共同生活の空気を、家族をこえての人間どおしのリスペクトの心を植えつけるという考えには、それなりの深い根拠もあるところと言えます。

でも、ここで忘れられているのが 母親のスキンシップと父親のその補助という家族の持つ愛情の役割なんです。

肌と肌のふれあいの世界です。  

もし、ここに本当の男女のセックスが 十分成熟しているならば、そこに起こるのは、まさにその正常な成熟したスキンシップが自然にも起こります。

そこではそれが所有欲になどつながったりはしません。

もちろん、社会に対しても より強い対応力をもつことになりますし、しかも、彼女ら彼らは「かわいい子には旅をさせろ」という子供の自律への強い信念も生まれているでしょう。

まず、大人自身が 性の世界をもっともっと深く考えられえるようにすることです。

そのために、この「セックス」カテゴリーは書かれています。

フェミニストもよく「奥さん」という言葉を、これは奥にしまって置かれるというふうに男性に所有されてる形として問題とします。

これも同じですね。 ほんとうに成熟したセックスからは、所有はうまれようがないんです。

奥は奥でも 奥深いという意味になるだけです。

奥深いこころのふるさととしての異性、そして母性、その女性の特性への無限ともいえるリスペクトとなるだけです。


その虚弱児施設での消灯時間に、子供達が流した涙の意味を どうかここに
何か感じてください。


では、きょうはここまでです。


あしたのこの時間もお楽しみに、


              
                  哲歌隊長浩、こと中村浩


((編集後記))

Q&A(OKウェーブ)で わたしが回答している「性教育の倫理性」というタイトルの質問のULRは 

http://okwave.jp/qa3357170.html

です。 

うまくこれで 即そのサイトへと飛べるのかは、まだネット音痴のわたしには解らないのですが、 ともかくそのサイトの住所を貼り付けておきました。

きょうの最初に書いておきましたように、質問者さまの文を読み解くのは大変です。

アランというフランスの哲学者を勉強していて、機知に富んだ文章を書くのですが、いざ機知に富んだ部分の文章がめちゃくちゃに文章とならなくなってしまう人(女性)です。  でも それは才気を気取ってるからとかいうのではまったくないもので、一生懸命さがそのような癖を生んでしまったということがわたしには 自分自身の経験上からもよく解るのです。

そのへんを読み解いてのわたしの回答の筆となっているので、このブログよりかなり頭を使いますが、 でも かえって頭の訓練になるかもしれませんね。

あくまで「性教育」の論点もはずしていませんので、興味のあるからは除いておいてください。

では、きょうはこのへんで。


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2007-10-29

ちょいシャレビジネス哲学会 第57回【セックス】27

【セックスを深く考えよう】27

(肌感覚)16

肌感覚というのは、五感の中でも一番セックスや前戯(これについては、第一弾の「セックス」カテゴリーでは扱いません。ほんとうは、これは広範な問題を持ったものでもあるからです。)とかスキンシップとかに最も関わっているわけですから、 こうして書いてると、どんどんこの小テーマ「肌感覚」が長くなっていってしまいそうです。

この日本人には特にその素質がある「肌感覚」能力の世界については、それが視覚とも結びついていることの科学的な面の一例を掲げてこの小テーマも始まったのですが、

これは五感で言えば、聴覚とも味覚とも臭覚とも同じように、あるいはそれぞれ微細なまでに豊かに細やかにつながっている世界で、それが体全体の第6感にまで流れ込むようにしてそれもまた「肌」を通して繋がっているというふうに考えてください。

それぞれをここで全て扱っていますと、この「肌感覚」だけで「セックスについて深く考えよう」の第一弾カテゴリーが終わってしまいそうです。

みなさん自身も、記憶をたどり、今までの感覚の体験をイメージの中で引き出してこのつながりのよすがのあたりを考えておいてみてください。

ここですこし、この五感から離れて 子供達の自律と肌感覚(スキンシップ)の問題を扱っておきます。

その後ふたたび、もういちど、視覚だけでなく五感全般とこの肌感覚の関係をおおよそ、それぞれ取り上げておいてこの「肌感覚」についての小テーマは卒業しておきたいと思います。

舞台は ふたたび、虚弱児施設のグループごとの大きな部屋での、消灯時間の場にもどしましょう。


一日中 海辺であそんだり、 時には先生方と一緒にあちらの山、こちらの山、炭焼き小屋や、お花畑、そして熱帯植物の温室、船着場、材木置き場を探索、見学し、あるいは、貝を集めて自慢しあい、将棋の腕を競い合い、もちろん、勉強もして‥ 一日の日記も書き、 すっかり遊びつかれて、床につくその消灯時間でのことです。

そこでの淡い恋?物語は、しばし前におはなししましたね。わたしの失態のことですのでお恥ずかしい物語ですけどね。

やがて、その場はまず、枕投げのふたたび最高度の遊びの場と化します。
一日のうちでいちばん大騒ぎする時間帯となるんです。

それがいやで布団にもぐってその時間をやりすごす子もいます。

といよいよ、明かりが消えます。  きゅうにすうっとみんな静かになっていきます。 まだ残ってるのは「くすくす」といった笑い声ぐらいです。

そこに放送室から 音楽や先生からの連絡事項や物語の録音したものやラジヲの録音してものとかが流れてきます。

その中でも ここでおもしろいのが、音楽がかかった時の子供達の様子なのです。

なんと、ほとんどの子供達が 泣き出し始めるのです。

そして聞こえてくるのがきまって「おかあさん」という言葉です。すこしだけ「おとうさん」も混じります。

泣いてなかったのは 死の床等の孤独をくぐってこの天国にやってきたこのわたしだけだったのではないでしょうか。

あした この問題をすこしほりっ下げておきま笑♪


きょうはここまでです。


あしたのこの時間もおたのしみに。


                    哲歌隊長浩、こと中村浩

((編集後記))

最初の考え(だいたいの予定のようなもの)では、あした扱う問題は考えていませんでした。

これはQ&A(OKウェーブ)の方で「性教育と倫理」という質問(わたしからの質問ではないので、わたしも回答者の方に回っているのですが)に対して、 他の回答者様がたの議論となった問題の一端を、ではわたしはどのように考えているのかということの答えを ちょうど、この虚弱児施設でのこの状況に合わせて、書いてみることにしたものなのです。

このブログは、毎日違う話題をお届けしつつ、かつ続き物にもなっていて、そのうえに、Q&Aをこれからどんどん活用してゆくという形で、わたしだけの見解のみで進めていかないという形もとってゆくものです。

それでいて 議論が複雑、雑多なものにならないように舵取りしていかなければならないのですからネット音痴で、きちっとしてそれようの編集もままならない中、たいへんな作業となってしまいそうですね。

今 現在出来そうな Q&Aのこちらへの移動としては、あしたから、その議論の部分のみ、こちらに最後のコピペしておいて、その後のそのテーマでの議論展開があったら あしたのブログの場に即、編集修正の機能を利用してコピペしてゆくという方式ができそうなので、 

さっそくそれをあしたからやってみますね。

ネット音痴ですので、そのへんの対策が遅れていますが、 できるところからどんどん進めてゆきます。


それでは、きょうは、このへんで。


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2007-10-28

ちょいシャレビジンネス哲学会 第56【セックス】26

【セックスを深く考えよう】26

(肌感覚)15

今 わたしが子供時代にすごしたことのある、ある大自然の中の虚弱児施設での想い出から かなりランダムにまばらに、「肌感覚」に関連させてお話を選んでいます。

最後はまとめますが、私自身、万華鏡の色合いの変化を楽しむように何がとびだすのか事前にあまり考えないで書くことを この想い出に関しては楽しみたいんです。

そういえば、万華鏡を始めて見たのも、その虚弱児施設でのことでした。

万華鏡は、カレイドスコープ(カレードスコープ)ともいいます。

ヤフーで検索するときれいな画像のサイトがけっこう探せますので、そこでも色合いは楽しめますが、こればかしは動画のけっこうすぐれものでも実際の現在の実物を見たときの感動にはおよびません。

現代では、ほんとにいろいろな種類のものが出ていて、昔からは想像もつかない華麗な世界にもなっているのですが、
これもその道の専門家に言わせると、万華鏡が始まった当初に、人間の想像力はその全ての原型となるようなものを作り出していた歴史があるのだとのことです。

わたしは、その歴史の詳しいことは解りませんが、そういう内容にまでたちいった深い内容のサイトもいくつか出ているようですので、これはこのブログでは「映像」に関するカテゴリーが正式に始まったときに(それまでに詳しく調べておいて)御紹介もしてゆきたいと思っています。

この地球に生まれまして(笑)わたしも光を愛しております。

光の織り成し綾なす変化の妙が大好きです。 それここんなにも華麗にあつめる光の芸術、万華鏡も大好きです。

その昔に その光の妙に気がついた地球人たちが、今の高度なカレイドスコープのすべての原型を試していたということ自体も、何か感動的な、人間の心の世界をのぞく、まさに本物の哲学の香りが香ってくるような歴史だと思いませんか。

ここは カレードスコープ専門サイトではなくその哲学のサイトです。

では、いま少し、光を感じる側の心の世界の本質に焦点をあてていってみましょう。

わたしの生まれは 千葉県の外房、銚子から少しはずれたところにある飯岡という小さな田舎町のとある岡の上の家の生まれです。

都会に出てくる前は すごぶる健康でもあったんです。 それが都会でのある地獄の後に、今度は同じ千葉県の内房の大自然のこの施設でもう一度子供時代を知ることができたという感じの幼年時代だったのです。

そのはるか4歳から5歳ぐらいの時の想い出なんですが、ほとんど覚えていないその記憶の中でも 実はその手触りまで思い出せる記憶があるのです。

砂のまじった庭の土の中に 落ちていたビンのカケラに、つまりただのガラクタになのですが?   いままで感動したどんな光の世界よりも奥深く心癒される美を見出しながら無心に新鮮にその光に感動していたことです。

原点は感じる側の心にあります。 心の新鮮さにあります。 純粋な魂をどうしたら再び取り戻せるのかの哲学にあるのです。

いじめと孤独の地獄をぬけだし、 おおらかな先生がたや友とのふれあいの世界の中で はじめて万華鏡に接した 一人の男の子の新鮮な驚きの世界も
どうか ここでは、そんな万華鏡なんて古い古いなんて馬鹿にしないで 読み取ってくださいね。

そこが わたしという子供にとってどんなに天国だったかは、やがて廊下の壁に張り出されることとなった(そうそう、これはわたしの銀賞の絵がはりだされた場所と同じ場所でした。絵へん!ゴホゴh)体重を示す傍線グラフに明らかとなります。

全員の体重を示すその傍線グラフは 体重の増える率を示していたのですが、もちろん、いきなり天国へやってきたわたしがトップだったのはあたりまえのこととして、 二番目以下がなだらかな下降線を描いているところ、二番の一番のその男の子の差は2分の3ぐらいの開きがあったのですからね。

ふたたび健康をとりもどした その男の子の目に映った万華鏡の光をどうかきょうは、たんなるビジネス論を離れて、深く哲学しておいてください。

なんのために金儲けなんですか?ということを哲学しておいて欲しいということでもあるんです。

もし、それがあなたの心に鮮明ならば あとは、数字を具体的な傍線グラフにまで描けるぐらい胸の中であっても描ければ、その鮮明なパッションの世界健康な生き様の世界が、トップの中のトップへの道筋も明らかにしてくれるのではないですか。

まず、心の光が大切だという哲学。ここから出発しなおすのがこのビジネスブログです。

では、またあした。

 

                   哲歌隊長浩、こと中村浩

((編集後記))

きょう最後にすこし触れましたビジョンの逆算計算法という名でも呼ばれている事業成功法については、いろいろな計算法が考えられています。

研究中でもあるのですが、もちろん、その詳しいことも このブログではおそらく半年以内には紹介してゆけるでしょう。

しかし、これにはしっかりした生きる土台と人を愛する哲学から来るパッション(情熱)や気迫がないと、 その計算は希薄な夢と化すという法則も語られているところです。

高度な成功法の世界の裏には 高度な生きる哲学が必要とされているようです。

かんがえてみれば 当たり前のことですが、 その上にては、これがビジネスにおける「魔法」の世界の計算法であると言われているのも  これで総合的になんとなくでも納得できるのではないでしょうか?

きょうは、ここまでとします。

では、またあしたのこのブログもお楽しみに♪

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2007-10-27

ちょいシャレビジネス哲学会 第55【セックス】25

【セックスを深く考えよう】25

(肌感覚)14

千葉県は内房に少し入ったところの 岩井海岸養護学園という虚弱児施設に昭和34年ごろだったと思いますが、わたしはしばらく入園していました。

その頃の想い出の話を続けています。

「肌感覚」とセックスの世界を考察するその原点の思索のよすがでもあると理解しておいてください。

昨日、かいつまんで、いくつかランダムに想い出数々をほんの数文字で列挙しましたが、

きょうは その中の 音楽会でわたしが木琴担当で参加した曲「故郷の空」という曲について、そのへんのことで、肌感覚とセックスの世界の考察に筆を進めていってみましょう。

そうそう、千葉県と言っても内房と言えば、いまだに高度経済発展にともなうヘドロとかの公害のイメージが強い東京湾の一部ですから、 名誉のために言っておきますが、

なんとその頃の岩井海岸の海の中は今の沖縄の海につぐ、その頃としては日本一きれいな海の底としても知られていたのです。 子供ですからそんなことまでは知りませんでしたが、ともかくまだ海はきれいで、きれいな桜貝とかもおおく宝貝をはじめさまざまに豊富な貝拾いも楽しめた時代でした。

菜の花の咲く情緒豊かな大自然にかこまれた静かな海辺の施設だったのです。

そんな風土がよりいっそう、この「故郷の空」という曲と詩の理解を、理屈抜きの感覚の世界においてはさそっているものであったようです。(子供なりにですが、それなりに何かを感じ取ってはいたといった程度のことでもあるのですが。)

有名な曲ですし、今は音楽とか歌とかのカテゴリーではないので、歌詞とかの詳しい解説は省きますが、(抑揚の取り方とか節回しのありかた、強弱と言葉についても、歌の世界ではいろいろな考え方があります。また、私自身はその奥にこそ新しい哲学を展開していくつもりでもあるところです。でも
それは、そのカテゴリーの時まで待っていてください。)この曲は歌詞にしても曲にしてもほんとに日本の情景を肌で感じさせるものがあります。

「夕空晴れて、秋風吹き」というワン・フレーズだけでも 充分肌身にしみる秋のおとずれや、のどかな日本の平野に秋に風が肌にしみいり、夕空も晴れ渡ってやがてくる広大な秋の夕焼け雲を予想させる そんな情緒がすでに
あふれ伝わってくる曲と詩になっています。

歌で一番大事なのは、このような詩的(ステキ)な解釈の世界なんです。さらにはその裏の哲学の世界なんです。 そのことはどうかここで覚えておいてください。


そして、そこに解釈の深みが 奥深い哲学に裏付けられたものならば、それこそが 歌のほんとうの表現の世界になるのであり、いわゆるうまいへたとかは二の次三の次の価値の世界でしかないのだということもついでに できれば心にきざんでおいて欲しいところなんです。

この曲はこんな替え歌があることでも知られていて、これもけっこう多くの方に知られています。 人によってはこんな日本の奥深い情操を養う曲でこんなふざけた替え歌を作るなと怒り心頭となってしまうような、あの曲です(笑)。

「誰かさんと誰かさんが麦畑で、こっそりキスした、いいじゃないか」とつづく歌詞です。

でも、この歌詞も ほんとうはもとの歌にも負けないぐらいのいい歌にも成しうるのだともおぼえておいてください。

性が成熟してない、むしろその逆な人が、しかもふざけて歌ったりするからイメージがオカシクなってしまってるだけで、成熟した哲学から歌うならば、この替え歌も名作の1つとなりえるすばらしい歌い方がたくさん生まれうる替え歌の世界です。

 いつかこの哲歌隊長自身が 証明できるときがくると思っています。  お楽しみに♪。 もちろん、こんなすばらしい曲はもとの歌でも歌いますけれども(笑)。


日本の動揺や唱歌のすばらしさに、こんな場所で最初に触れることができたのはわたしにとってほんとにありがたいことのひとつでした。


その子供の時の、その音楽会にては、ただ夢中で、おぼえたての木琴を間違えないようにとそればかり考えて いっしょうけんめい演奏のまねごとをしていただけですが‥。

しばし、このブログは このような想い出のメロディーが(笑)つづきます。

けして脱線してるわけではないので、どうか気楽に読み進めていっておいてくださいね。


ではきょうはここまでです。


                    哲歌隊長浩、こと中村浩

((編集後記))

今このブログは、ビジネスのブログでありながら、ゆっくりと急カーブを曲がってるところです。

ビジネスの学習も スピードの時代だからといって、急激に曲がりすぎても何も解からないままで通り過ぎたりしてしまう場合もあることを哲学しておいてください。

まず、大事なのは 人が心の底から好きになれることです。 そんな王道をこのブログは進んでいます。  ゆっくりしているようで、これが肝心のもっとも大切な経営の要点をはずさない道だと思っています。

まず、怒涛の攻撃の前に、将棋で言えば守りの基本を身につけることです。


穴熊囲いとか、居飛車の基本とか、わたしは将棋は、子供のある時期(わかります・・?)しかやったことがないので、よくは解かりませんが、たぶんそんな基本の部分をしっかり、まず身につけようという地点をこのブログが進んでいると考えておいてください。

セックスのことについても同じなのですが「欲望」を避けるのではなくて、「見つめる」ことで味わい、かつ人間的にコントロールするというのが、生身の人間の お金に対するときにも基本の態度です。

生身の身のほんとうの弱さを正直に自覚すること、そして、守るべきをまず守ること これがビジネスマインドの基本であり、まさに王道の基本と心得るものです。

まずは、ここはゆっくりとしたカーブの景色を、ごいっしょにお楽しみください。

いよいよ、ちょいシャレビジネス哲学の冒険旅行は出発の帆を揚げ始めたところです。

みなさん、よろしくお願いいたします。

では、 またあした。


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genre : 政治・経済

2007-10-26

ちょいシャレビジネス哲学会 第54【セックス】24

【セックスを深く考えよう】24

(肌感覚)13


その虚弱児施設での 想い出を書き出せば きりの無いところとなりそうです。

竹やぶの写生で銀賞をとり 廊下の壁に張り出されたこと、

音楽会で「故郷の空」という曲をわたしは木琴担当で演奏したこと、

演劇では、はじめて舞台に出たのですが、ただのニワトリの役だったこと、

主役たちの舞台道具は、けっこう熱をいれてわたしも制作したこと、

はじめて張り穴写真機を作ったこと、

はじめて万華鏡をつくったこと、

はじめていろいろな文学全集の物語を読んだこと、

海べでの戦争ごっこ。

奇岩探索。

貝殻集め(その頃はいろいろな貝がありましたし、宝貝のきれいな大きいやつをさがすのが子供たちの間ではやっていました。)。

始めての将棋。

あまりにもいろいろな想い出が 浮かびます。

ほんとに、こんなかいつまんでの描写でも書けばきりがないでしょう。


その中で特筆すべきことを ここに書いてゆくわけですが、ほんとうは選ぶのもまたたいへんですね。

そうそう、肌感覚という事で言えば、お風呂の時間が、この当時のこの虚弱児施設でのすばらしい特徴となっていました。

おおらかで明るい大自然の中の雰囲気そのままに あくるく、大人の先生方までが、その時間帯には男女である事を忘れてしまったみたいに男女の別なく子供と一緒になってはしゃいだり、背中を流してくれたり、体の洗い方を教えてくれたりしていましたからね。 (この頃、 紙石鹸というのがはやったのを覚えているかたもいるかもしれません。 戦後のことです。

とてもいい香りのするやつです。 これはビジネスとして復活させることはできる要素があると思っています。 ただし、そこには 総合的な仕掛けが必要でしょう。 このブログでは全部公開します。 その関連の、あるいは美容関連の方が読まれていましたら、期待していてくださいね。)

それとあと、グループごとの大きな部屋での消灯時間での 子供たちどうしのお騒ぎとかとかのふれあいのタイムでしょう。 これが肌と肌の 他人どおしの接近の場ともなったということです。

音楽が放送室から流れ始めると みんな静かになりたいていは「おかあさん」とか言ってすすり泣きが始まったりします。 それまでは 枕を投げ合って大騒ぎだった子供たちがなんです。

その音楽も わたしにとっては特筆にあたいすることですが、きょうは別のお話をもうすこし付け加えておきましょう。

「ねえ、浩君は 世界中の女性でだれが一番好き?」 
すぐ隣がいつも寝ていた女の子が、最近はこちらの布団にもぐりこんでじゃれていたのですが、そう聞いてきました。

答えがたくて(笑)とまどってると、その女の子はさらに突っ込んできました。「わたしのことは世界中で一番好きでしょ。」

しかたなしにわたしは答えていました。
「世界中で二番目に好きだよ。」

「ほ、 ほんとだよ。 ほんとに世界中で二番目に好きだ。」

もちろん、その女の子は泣き出してしまいました。

それでも その男の子は一生懸命 何故泣き出したのかも気がつかづ、鈍感にも言い続けたんです。

「嘘じゃいよ。 ほんとうに世界中で二番目に大好きだ!!!」


このほのかな恋の物語は すぐ後にもっと悲惨なこととなります。
その女の子 パッと泣き止んで明るい顔で 「そうか解かった、おかあさんのことでしょ。 そうだったのね。」
とい

言ったからです。

あとは、書く資格もわたしには無さそうです。  ど ど 鈍感!の物語でありました。

かわいそうにも その子はもっと大きな声でその晩泣き明かしたでしょう。わたしは其の隣で すやすやと眠っていました。
そしてつぎの晩から 別な場所でその子が床を敷いていることにさへその理由に気がつかなかった「わたし」であったのです。

でもまだ未成熟な子供どおしのお話。 彼女にとっても、それなりに「男って‥」という認識の、  楽しい想い出ともなった出来事ではあったでしょう。

すぐ何ヶ月か前には地獄のいたわたしにとっては、 友のいるその施設の明るい空気は まさに天国でした。  

彼女とは出会いがなかったのか ということが言いたいのではありません。

もし今彼女とどこかで出会えたら、 これはたぶん、おたがににとって笑えるどころではない想い出の共有者として出会えるでしょう。

おもわず 日本人なのにだきあって再開を喜べるかもしれないような、


この別れ自体、 人と人の出会いの場だったのだということを、出会いの無い孤独の地獄の向こうに みなさんもここに確認しておいてください。

きょうはここまでです。


                  哲歌隊長浩  こと中村浩。



((編集後記))

さっそく OKウェーブ(Q&A最大サイト)にて、 「性教育と倫理性」というタイトルの質問をされている方がいましたので、

回答してみました。 

「学問&教育」カテゴリーの されに「哲学」カテゴリーからの質問でしたが、
miko−desiさんという女性の方の質問です。

アダルトの方での回答も考えていましたが、 このmiko-desiさんという方はわたしが質問していた「哲学が難しいのは何故ですか?」というタイトルの質問に回答を寄せられていた方でしたので(その時には男性だと思っていました。 肌に何か感じる暖かい感性は感じていましたが、女性だとは知りませんでした。)
それで、まず最初には、セックスと関わる回答として彼女への回答をしてみたわけです。

まだ、ここで紹介するかどうかは解かりませんが、例によって興味の在る方や、Q&Aに詳しい方は、検索しておいてください。

よろしくおねがいします。


では、きょうはこのへんで。 また あした。

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2007-10-25

ちょいシャレビジネス哲学会 第53【セックス】23

【セックスを深く考えよう】

(肌感覚)12

わたしは、子供の頃、体をこわし、虚弱児施設にいたことがあります。

多少の詳しいことなら昨日もすこし触れていますが、その虚弱児施設に入る前の時期が たいへんな地獄のような日々でしたので、その海辺の虚弱児施設はわたしにとっては天国のような子供時代の想い出となったのです。

よく時間感覚についてこんなことが言われます。

歳をとるにつれて時間が短く感じられるようになった。 一年がこんなじ短かったのか? という感覚であったりして、そう感じるようになった方はおおいでしょう。
逆に
そこを 小学生の頃を思い出してみると? なんでたった6年間なのにあんなに長かったのだろうという感覚の想いでの人も多いと思います。

その時間心理の分析の詳しいことは、この段では略しますが、 ここでは子供の頃のような新鮮か感覚で楽しいことがあると、通常のお騒ぎ的な楽しさなどは逆に時間があっという間にすぎてしまうのに、 これが一番時間が長く感じられるのだ  というふうに簡単に理解しておいてください。

わたしのその虚弱児施設ですごした期間は 後から計算すればたった4ヶ月です。

でもわたしは、そこにたしかに少なくとも4年はすごしていたような記憶になっているのです。  そのぐらいわたしにとってその大自然の中の虚弱児施設は 新鮮で楽しい子供時代の想い出となった場所であり時間だったのです。

いろいろな想いでがありますが、

そこは、30人ぐらいの年代をランダムに選んだ小学一年生から6年生までのグループがたしか5組ぐらいあって、そのグループごとに大きな部屋があり そこでグループごとに食事をし、寝泊りするようになっていたのですが、

その部屋での夜の消灯時間でのお話をすこししてゆきましょう。

肌感覚の原点のようなことにも触れるところですので、そこから

あしたからになりますが、描写していってみますね。

すみません、きょうは、書く時間もあまりなくて急ぎました。

でもその描写はあしたからですから

お楽しみに、   子供たちなりの恋の物語です。



                   哲歌隊長浩 こと中村浩

((編集後記))

哲学っておもしろいですよ。

最後は けして社会から目をそらすようなものがその本物であるはずがありません。

社会への目も本物であり 深く未来や近未来を見通す目が養われてゆくものです。

肌の奥の真実を知った昔の仁術の哲学者こそ 最高度に現代社会まで見通していたという推理がわたしの中に働いていることもここに特記しておけることです。

でも きょうすこし触れました「時間感覚」の問題にしても、詳しく考察すればするほどおもしろい世界だったりします。

この虚弱児施設での しばらくつづく想いでの中にも 多くの哲学のおもしろさを語る原点が登場するでしょう。

楽しみにしていてください。

いよいよ 冒険旅行で言えば旅の列車がゴトンと出発し始めたところでしょう。

では、またあした♪

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2007-10-24

ちょいシャレビジネス哲学会 第52【セックス】22

【セックスについて深く考えよう】

(肌感覚)11

すみません、いとがしい時間の合間に毎日書いてる形でもあり、 続き物でもあるブログなのですが、 時として迷いがあれば、それが出てしまいます。

昨日の「ふたたびポルノについて」というポルノの再考察をここに進めていってもふたたび「肌感覚」にもどってこれるのですが、やはり、ここは「肌感覚」のテーマで話を続けてゆきますね。


けっきょく、それが昨日触れました「セックスでの人と人、命と命の出会い」の問題を解く基本ともなるのですからね。

それに、ちょうど、この11回は、その原点のさかのぼるようなお話となっているようです。

では、つづけます。

わたしは、小学校2年から5年にかけて、あるいじめにて、心身をこわし、小児喘息にもかかり何度も重い肺炎で死の床をはいずっています。

体のほうは、「あと三日の命だ」との医者の宣告を聞いてしまった時もありました。

右の肺胞が全部つぶれ、左の肺胞もあとすこししか残っていない苦しい息の中その情報もはっきりとわたしは聞き取っていました。

ものごころついたばかりのわたしにとって 死ぬと思い込んだときの心の苦しみは すでに肉体的苦痛には耐えることができなくなってしまった意識の中でもそれ以上にみじめで苦しい想いだったことを覚えています。

でも さらに心の苦痛と惨めさをともなう体験もありました。 神経がイジメの恐怖からおかしくなって 気がふれた状態になった時のことです。

気がふれた状態自体は、あとで思い出せる意識状態ではあるのですが、その状態自体は苦しくもなんともないんです。 でも、すべて思い出せるだけに
はっ と気がついたときのものごごろついたばかりの子供がその時何を知るか考えてみてください。  はっきりと、今気が狂っていたと知ってしまったということです。   気がついた時が惨めだったんです。


親に話しても 信じてもらえませんでした。 すべては孤独の中でもあり、私は地獄の中でたったひとり、だれにも出会えないまま、恐怖と始めて知るひとへの憎しみの中、心も体も死の淵をさまよっていたのです。

でも、

やっと親も すこしは気がつく時がきます。 そうして、わたしは千葉県の岩井海岸の近くのとある虚弱児施設に入れることになったのです。

それが、わたしにとってどれだけ救いだったか、そこがわたしにとって、どれだけ天国だったか

そこには おおらかで明るく優しいこころの先生方や 友達たちがいたのです。 だれもがわたしを友だちとして迎えてくれました。

人間と人間との出会い、 その原点の命の力がここにあります。

肌感覚ということからすこし外れていると思われるかもしれませんが、いっぺんには書けません、 あしたその変の触れ合いの原点にも話は進んでゆくでしょう。  もう少し待ってください。

今 すこし、つづきものとしては文章がみだれている形(編集)となってしまっていますが、 生身の人間の筆です、どうかこのへんご了承ください。


では、また、あしたにつづきます。

あしたのこの時間もおたのしみに


                   哲歌隊長浩  こと中村浩

((編集後記))

このブログが「セックス」についてのカテゴリーにはいるあたりにて、

このブログが先に行っては本格的に活用しようとしているQ&Aのサイトで

ふと「哲学って難しいのはなぜですか?」というタイトルの質問をしてしまったころで、 大勢の方から真剣なご回答をいただき、わたしの方も再質問の筆を伸ばすような白熱した展開となり、

忙しい時間の合間にて、すっかりそちらにも時間と精力が注がれることとなってしまったわけですが、

ようやく それは一段落まとまりそうです。

いよいよ、このカテゴリーにあわせた質問とか回答の筆を進めてゆけそうです。

今までは、こちらに直接その内容を移さないで、OKウェーブというそのサイトで興味のある方にだけお勧めする形でしか無かったのですが、

このあたりから、特記すべき回答とか部分や、あるいいはおもしろい質疑応答とかはコピペしたり、前面移動したりして こちらでも読めるようにしてゆきたいと思っています。

ご期待ください  お楽しみに♪


では、きょうはこのへんで

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2007-10-23

ちょいシャレビジネス哲学会 第51回【セックス】21

【セックスを深く考えよう】21


(ふたたびポルノについて)1

「肌感覚」という題の小カテゴリーの途中ですが、 ここですこし復習もかねてポルノについて、もう少し筆をのばし、ことの功罪を明確にしておきます。

功罪の功のほうはあるのかというと、わたしが大量に見た歌舞伎町にいた頃のそれはともかく、現代では「功も無いとまでは言えない」というふうにだけ言っておきます。 (まず、そう表現しておきましょう。)

でも、それよりも、まずは、このように単純に考えておくべきところなんです。

セックスは、人間と人間の全体、あるいは命と命のすべての出会いの場なのだというふうにです。  それなのに、ポルノはその出会いの中のむしろ自己の欲望のみにおぼれてしまった状態での「出会い?」しか描写していないというふうにです。

お遊びではない世界なのに お遊びにしかすぎないようなチンケなプレイの世界に閉じこもってしまっているというふうにです。

わかりやすくさらに言えば、おおらかな明るいプレイ(遊び)とすら呼べないレイプの世界の描写とすらなってしまっているのだというふうにです。

中身の感覚がです。 あるいは感性がと言ってもいいかもしれません。

出会うのは同じ裸と裸の姿です。 でも中身がチンケでレイプフル、あるいは変態(すでに書きました中身の変態性、自分しか見てない姿のことです。同じ変態でもいろいろありますので、これはむしろ簡単には考えないでおいてください。)フルなのがポルノです。

これでは、たしかに子供には見せられません。 正常な成熟すら邪魔する要素となってしまいます。 18歳未満禁止となるのもあたりまえです。

ほんとうは、無邪気な開放的なセックス描写をしているつもりになっているポルノ製作者も大勢おられることでしょう。

しかし、裸の「中身の表現」が無いままで未成熟な子供たちや若い命に何か伝えられるのですか?(ロマンポルノというジャンルではたしかに生活描写とかドラマの中での性格や心理描写とかありますが、 それとセックスの場面が別になってしまっていれば、これは同じことというよりもかえって逆効果です。きびしいようですが、ぜんぜん勉強して無いのじゃないかと思えてしまいます。)

今では、実際には ほんとうに真剣に性器の写真を その高揚した瞬間の瞬写を求めて追求したりしている人達もいます。  でも、「出会い」の描写がなければ、あるいはそこが希薄で、そこがボケた夢みたいであれば、若い未成熟な命に何が伝わるのでしょう。

どうか 総合的に真のプロとしての哲学と表現の学習を ここでしなおしてください。

むかし、ラジオ等で「猥褻論争」が繰り広げられたことがありました。
結論はつかず 真っ二つに意見が分かれたままだったのが おもしろいところです。 笑い事という意味ではなく興味深いところだという意味です。

だれも総合的に ことのしだいを把握して論じてはいなかったということでもあるのですからね。

ポルノだけが悪いとは とても言えない時点です。

みんなが総合的にセックスについて深く考え 理解してゆくところから出発しなおす必要がある時点です。

どうか、みなさん、 ここでほんとうにセックスについて深く考えてください。

わたしといっしょに、 すこしづつ、ひとつひとつ、解明の旅をしてゆきましょう。(未来の子供たちの幸せのためにも)

まずは、セックスが 命と命の出会いであるという点について、あしたからすこしその原点にさかのぼっておきます。

きょうはここまでとさせていただきます。


ではまた あしたのこの時間もお楽しみに、


                     哲歌隊長浩、こと中村浩


((編集後記))

これから書くことを誤解しないでください。

さいごまできちっと読んでください。

たしかに、ポルノの世界は、儲かります。 うまくやれば、大もうけできるでしょう。

このビジネスブログにても、はっきり言って 未来のすっかり改造された子供たちにも見せられる でありつつ奥も深い そういうポルノ(そうなると名称自体が変わってしまうのかもしれませんが)ならば、 そこにさらなる儲けの道もさぐってゆくものです。

ビジネスブログですから当然です。

でも、ここではっきりしておいて欲しいのが、松下幸之助の教えです。
なんども繰り返しますが、

ニーズのみにとらわれず、お客さんの真のしあわせのためのビジネスをおいかけてゆくという、 じつは、これからの情報化ビジネスにこそあてはまるその経営魂の世界なんです。

セックスこそ、どうか深く考えてください。 人間の幸せのさまざまに豊かな源泉がそこにある世界なのですから。


きょうはここまでです。   また あした。





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2007-10-22

ちょいシャレビジネス哲学会 第50回【セックス】20

【セックスを深く考えよう】20

(肌感覚)11

ごめんなさい。 
きょうは皆様にあやまらなければならないことがあります。

きょう書く予定として予告もしておいた 歌舞伎町でのわたし自身のある恋のお話の予定は飛ばします。

わたしは、生まれてから今までの間に、自分で泣こうとしてないのに泣くまいとしてるのに涙も声もどんどん大きくなっていってしまう嗚咽の体験は2回だけあります。

1つは、アパルトヘイト反対のために音楽家たちが共同で制作したという音楽(名前とかは忘れましたが)を、聞いた時です。

え 共同で? その姿勢を疑うね。  みたいな気持ちで聞き始めたのに、なんと大勢の人が聞いてる中で、わたしは泣き出してしまったんです。 抑えようとしたからなのでしょうか? しかも あふれる涙も抑える声もどんどん大きくなっていってしまったんです。 ‥。

もう1つが、たったふたりでその彼女とある部屋にいたときです。 これの細かいドラマチックな描写をきょうはしてみたかったのです。

どんなふうにわたしたちの恋は深まっていったのかが解かるでしょう。

しかし、そんな彼女と、 ではなぜ別れることとなってしまったのかが、そのぶん、説明がつかなくなってしまいます。

これは、肌感覚の小テーマを離れて、恋と倫理の問題のほうが大きくなってしまいそうな問題でもあったんです。

なぜ彼女と別れたのか? これは、私自身の中の行動基準の世界のゆらぎからくるものです。

そして、実は

このブログが 先に行って深く関わっていこうと思っているところの OKウェーブという名前の日本最大のQ&Aのサイトにて、

わたしが「教育と学問」というカテゴリーの中の「哲学」カテゴリーから質問した「哲学は何故むすかしいのですか?」というタイトルの質問への、

多くの方のすばらしい回答の中に 最後になって

いまだにわたしの中の行動基準が明確でないということを示されるような回答とぶつかってしまったのです。

すこし 考えさせてください。 わたしたちは、わたしも含めて迷いつつ間違いつつ反省しつつしか前へと進めない凡人であるならば、 わたしは勇気を持って それでも、このブログは毎日つづけるつもりです。

いそがしい時間の合間を縫って、必死で書き続けるつもりです。

でも、乱れるときはあります。 みだれた足取りをも正直に明らかにせざるを得ないのが、今のわたしの毎日書くしかなくなってしまった(ネット技術音痴からのものなのですが)ものの精一杯の歩みです。

どうか そのへんご理解ください。

やはり 今は、歌舞伎町での恋のことは 書けません。

話を先に、続けます。

歌舞伎町では、わたしは、けっこう天狗でしたね。

例えばセックスについても人にかなり偉そうなことも話していました。

あるキャバ嬢が わたしに「妹が田舎から出てきて わたしのような世界に入りたいと言ってきかないんだけど、なんとか、チーフの説得で 止めさせてほしい」と相談に来たことがあります。

つれてこられたその妹さんにわたしは、その手首をさすって(そのような大勢の女性と付き合う環境では、自然に相手の体の触れることが出来てしまいます。)また強くにぎって 「これは性感帯のひとつだよ。 ここをにぎったり、握らせてあげたりすれば、だれとも恋人になれるんだから 簡単でしょ。 ほんとに好きな人と恋人になりたいの。 それとも誰とも 何もこころの通わない人ともセックスしたいの? ほんとうのあなたの気持ちはなんなの? もう大人だから自分で考えてね。 だけど自分に嘘をつかないでほしいし。 幸せのためならば、すこしの勇気をもってほしいな。」 こんなふうなことを言ってました。

まさに正解でもあるでしょうね。 でも、性感帯についてはただのそこらの本の受け売り、 ほんとうは、肌の全体に気脈が流れていて、その流れのなかに、手首だけでなくて腕の手も、そのあたりも、充分に大切な性の命という感じのものです。

今から考えるとよくも何も知らないくせにあんなことが言えたなと思ってしまいますが、 あの時はあの時で 一生懸命生きていたんですよね。

迷いつつ 間違いつつも 精一杯人間的であろうと、やはり自分自身すこしの勇気を振り絞って前へとそれなりに進んでいたんですよね

長くなってしまいましたので、 きょうはここまでとします。

では、あしたのこの時間もお楽しみに


                    哲歌隊長浩 こと中村浩

((編集後記))

実は きょう書きましたQ&Aでの質問から生まれることになってしまった
迷いというのは、

オーラの泉で有名な江原氏でしたっけ、その人が語るような霊の世界のことを、ある特殊な睡眠中の「夢」から思索して物事を解明しようとしている回答者の方がいて、

わたしは死後の世界とか霊の世界とかは さっぱりわかりませんからそれはわたしの思索や哲学の範囲にはなかったことなのですが、

さすが その人の説明ですと、言っていることは難しい究極の善の世界のことなんですけどわたしの哲学からも そのほとんどはちゃんと説明の付く世界でもあるんです。(オーラの泉とか見ててもただ不思議(笑)なだけですが) 

ただ一点、書きましたように、 江原氏とかも語られるこの現世は霊の世界からは修行の場だという点が わたしの考えと異なってしまうんです。

そんな悠長な世界ではない といった感じです。

それにこの時代には あわない とかいったふうにです。

でも 深い考え方ではあるとも言えます。 だから解からなくなってしまったんです。

これが解からないからわたしは、いつまでたっても いまいち行動の基準がつかめないのじゃないのかと思えてしまうものでした。

わたしは、このブログで書いていることへの責任のためにも 真剣です。

どうか、しばしの、この乱れをお許しください。

では、また    よろしくお願いいたします。

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2007-10-21

ちょいシャレビジネス哲学会 第49回【セックス】19

【セックスを深く考えよう】19

(肌感覚)10

きょうは、わたしのとある恋の体験をすこし書いておきます。

初恋は、わたしの場合 めちゃくちゃなまでに新鮮なものでした。

遠くから彼女の背中が見えるだけで、そこに何か深いつながりの空間とか運命の出会いの感覚とかを感じました。

やがては、雲を見ても、水溜りに映るその雲と空の青さを見ても、そこに流れる広大な風のながれも、その大地に咲く雑草の中の小さな花までもが、彼女のぬくもりを映しているような、そんな感覚におそわれるようもなりました。

そこにはまさに青春の命が脈動していました。

わたしの場合、その初恋の感覚の中ではじめて「性への目覚め」と言える形でのセックス観を知ったのです。

それまでは、生殖の目的以外の目的で異性を見るのはいやらしいとか猥褻だとかいう感覚がどこかにありました。

生命の継続という荘厳な営みとしての生殖というものの尊さは解かるのですが、それがゆえにそれ以外での性の快楽を否定する禁欲主義の影響を、家がクリスチャンだったこともありたぶんに受けていたのだと思います。

クリスチャンでなくても、新鮮な目を知らない間は、おおくの場合女性の裸へのそのようないやらしい目とかはあるはずです。

でも、その初恋の中では、私は その「いやらしい」とか「猥褻」とかの感覚をまったく思い出すこともできなくなったのです。

ただただ、女性、あるいは異性の体は 美しさそのものでした。

特に恋をしている相手のすべては これは言葉で書きようの無い深い深い美で満ちていました。

いわゆる美人とはおもいませんでしたが、そんなことは私には関係ない言でした。

わたしにとって 宇宙中さがしても、いや過去幾百億年、未来永劫どこをさがしても彼女が一番美しいのであれば‥(笑)、  笑い事ではなくほんとにそんな感覚だったのです。


「性への目覚め」という感覚もこの初恋の感覚の中で起こりました。

けっきょく、この初恋については、いまだにどのように描写したらこの感覚が他の人に伝わるのか 絵でも歌でもむずかしく、ましてこのような文章ではとてもその何がしかを伝えられないという想いがあり、 きょうは、じつはいざ書き出すまで、このことは飛ばしてしまったほうがいいのではとか迷いつつ迷いつつ とうとう書き出してしまったという感じでもあるのですが、

ともかく それがどんなにすばらしい命の躍動のひとつであったかについては ここではともかく、

それ以前の私の女性の裸体に受けるイメージと その体験とその後何年間かの私の女性裸体感覚との間には まさに180度の違いがありました。

その部分だけ別な人間になってしまったと思えるほどです。

その部分の過去の感覚の記憶すら まったくその期間は思い出せなくなるほどの衝撃だったということでしょう。

アナル・セックスというのをご存知ですか? 

大便の出る方のおしりの穴を刺激しあうセックスです。

これなどは まさに、生殖とは関係ないですから、「猥褻」とか「いやらしい」とかいう感覚の中では、その最たるものとなってしまったりもする時がある世界でもあるのですが、

もちろん、その「性のめざめ」の中にては、たったひとかけらさへ、たぶん一ナノさへ「いやらしい」とか感じなかったでしょう。

完全に そのような感覚は どこかへ消えてしまった意識状態です。

何もかも新鮮で美しかったのです。

そこまでの感覚の芽生え自体は、それなりに私の中で成熟とかが起こったことを意味してはいたでしょう。

でも それはたんなるまだ ほんの入り口の ガゆえの衝撃だったにすぎませんでした。

彼女には むしろ その前後のほんとうの私の未熟なすがたが見透かされてしまったのでしょう。

また、今から考えると、あまりにも急激な一方的な惹かれすぎに対して彼女の中になんらかの誤解というすれ違い現象も起こしていたことも考えられます。

いずれにしても、それは「ふられてしまう」という形で失恋の思い出ともなってしまった恋物語だったのですが、

実は それからしばらくして今でいうソープランド(その頃はトルコという名称で呼ばれていました。)に通うようになったのです。

失恋の痛手とかいうのではなくて、 まったくまだ、いやらしいという感覚を思い出せない状態だったため、 子供の頃のあるとてもなつかしい大きな風呂でのくったくのない遊びの世界を思い出したからなのです。

だから始めてなのに 堂々としたベテランと最初から間違われたのです。

それは あさって書いてみます。さあ、では、「猥褻感覚」というのは私たちの中にどのように芽生えるのでしょう?

あさってその点について すこし触れてみます。

あしたは、 もう1つの恋の物語です。  あしたのそれはもう少し突っ込んだ描写となります。33歳ぐらいの時の恋です。


あしたのこの時間も お楽しみに、



                     哲歌隊長浩 こと中村浩


((編集後記))

昨日、この「編集後記」にて細木数子さんのことについて、触れました。

彼女は、マスコミ等から批判(バッシングという意味合いのものでしかないわけですが)もされています。

占いですから はずれるかもしれない(本人は研究者ですから解かってるはずです。)ことをも、プロとしてあえて言う場合もあるでしょう。 詳しくは占いのカテゴリーで扱いますが、

ともかくマスコミとかそれと連動した「いわゆる世間」という群集心理の働く場にては、人はちょっとしたバッシングの世界にあいのりしたがる真理をつい持ってしまいます。

亀田親子の問題も その流れとともにある問題です。 精力善用という言葉の意味を誰も知らないわけではないんです。 
うすうすは多くの人が心の中で知ってはいるはずです。

でも今回の そのバッシングの姿がまさに、亀田親子の精力を生かす道にではなく剥ぎ取る危険性をもったバッシングになってしまっています。 精力善用という言葉の深くぶれない意味合いを哲学できていないからです。

でもそのことは時期とかはすこしずれてしまいますが、やはりスポーツ関連のカテゴリーの時に追いかけさせていただくことにします。(次回のカテゴリーですので お楽しみに)


話を細木数子さんの話にもどしましょう。 なによりも彼女のすぐれた点(占い師としてのです。一番うまいのは料理ですが(笑))は、

一人一人にたいする、その人生を見抜く直観力です。

ほんとうは、きょう歌舞伎町にいた頃の恋の話を書く予定だったのですが、きょうは初恋の話となってしまいましたね。

その歌舞伎町にいた頃 実は私自身、ある不思議な直観力を持っていました。

たくさんの女の子と話す機会があったためなのでしょう。 あるときから24歳以下の女性なら初対面でもぱっと年齢がわかるようになったんです。

これは何十人だかおばえてはいませんが、一人もはずれたことはありません。

これ自体はくだらない直観力ですが、多くの人との深い関心とともに話し合う機会を持つ占いの世界にて 彼女はこうして 一瞬にしてもっともっとはるかに大事なその人その人の人生についての直観力を その学識の裏に持つようになったのだと思います。

詳しいことは そのカテゴリーが始まるまで 待っていてください。

彼女も その過去に関しては「精力善用」の道筋と関わるようなあり方もあったのかもしれません。「精力」の出すぎによる失敗の数子 という感じです。 でも今とこれからの彼女をわたしは信頼していますし 愛している人間のひとりです。

では、きょうはここまでです。

また あした。

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2007-10-20

ちょいシャレビジネス哲学会 第48回【セックス】18

【セックスを深く考えよう】18

(肌感覚)9

通常の都会のサラリーマンの生活とかは経験していませんし、いわゆる合コン式の男女の出会いの場も経験していませんからわかりませんが、

わたしのような肉体労働者とか、田舎のサラリーマンとかでは、ほとんど異性との出会いも無いのが普通ではないでしょうか。

わたしの場合は、町の演劇サークルに入っていたりして(これは神奈川県の川崎市にいた時です。)その頃が少しの女性との付き合いの場とかありましたが、あとは、30歳までは、やはりほとんど異性とのつきあいの機会自体がありませんでした。

トルコとかは別です。(内緒デスケドネ.(笑) すでに詳しく書いてしまいましたね。、え もっと詳しく?  順を追って書いて効きます。 これは中学生にも解かるように書いているブログですので、 そう心がけて書いている以上、危険な書き方はしません。あくまで手順とかがありますのでご了承ください。)

30歳の頃から歌舞伎町で暮らしてましたので、その後年間は、逆に多すぎる異性との付き合いもありましたし、 歌舞伎町外でも その空気からか、
こちらがナンパしたことは(最初にこのカテで書きましたが)一度もなくてもむこうからラブ・ホテルに誘われたことが2回(別な女性)、マンションで添い寝したことが二回(別な女性)とかの機会とか それに近い付き合いの場とかは、結構なかったわけではないのですが、

やっぱり、なかなか普通は、そんな機会はめったに無いという人が多いと思います。

そこにブライダル・ビジネスとか、ネット系のお付き合いのシステムとかのビジネスの成り立つ余地があるのでしょうが、 わたしは、そういうシステムには、今のままなら反対の意見も持っている者です。(詳しくは 何日か後で書きます。)

肝心な点は、 直接のセックス(コンドームを使ったり)とか、お腹の上に精射するような遊び関係とか、一見安心に見えるお付き合いも それで子供が生まれることもあると知る必要もあるのですし、(勢いのいい精子がどのように動くのかを考えればわかることです。)

もっと肝心なことは、そうして火遊びでは「肌感覚」を見過ごしてしまう危険があるからです。

添い寝で一番深く感覚世界の交流が出来たのは、お腹に精射した(そういう間違いも私自身がしています。)屈託の無い付き合いでもなく、 ただそっと口付けしたり 抱き合ったりして、びんびんでもセックスもしないで大人と大人という感じで静かに添い寝が出来たときですが、

そうしたことよりも、 はるかに異性との深い交流が起こったのが あしたから少し書いていくことになる 恋の体験とか、お互いに一緒に苦労する生活の中での異性との心の交流の世界だったからです。

ほんとうの「肌感覚とセックス」の理解は、昨日までにほんの少しふれました経絡の理解が必要ですが、そこから考えても大事なのは未熟な心身でのセックスよりも、 もっと、もっと 大事な異性とのつきあいかたはあるのだということです。

すみません、 きょうはじつは 細木数子さんのお話でちょっと砕けておこうとおもっていたのですが、 あしたに伸ばします。

では、きょうはここまでです。


あしたのこの時間もおたのしみに、


                 哲歌隊長浩  こと中村浩


((編集後記))

いや、話はどんどん進めていくことにしましょう。

この「肌感覚」という小カテゴリーは あさってぐらいまでにまとめて先へと進めてゆきます。つぎが何かは じつはまだ考えてはいません(笑)。でもダイジョブなんです。  わたしは、経絡という究極を知ってますからね。  

心で言えば 素直 という心が あらゆる自由な精神の源だったりするのと同じです。(このことは、松下幸之助がよく語られているところです。)

細木数子氏のことで書こうとしていたのは、彼女がおまじないだと言いながら、「左胸の下」のあたりをさすることで、離婚をさけるききめがありますよとふと語ったことについてのお話です。

それは経絡の気脈のツボで考えれば 3番目の最後の気脈の(一番直接的にセックスと関わる起動の気脈でもある)そのまた最後の二つのツボの最後に目と目の間にぬけるツボのその手前のツボなんです。

彼女がそれを知っていたかどうかは知りませんが、 この占い師は、直観力が特にすぐれています。

といったことを楽しく書くつもりだったということです。 

でもやはり、これは 占いのカテゴリーで扱うこととさせていただきます。

ただ、せっかくここまで書きましたので あしたからこの「編集後記」にて、ではその直観力の世界とはとかについてとかで、 ちょっとだけつまみぐいしておきましょう。

では、またあした。



2007-10-19

ちょいシャレビジネス哲学会 第47回【セックス】17

【セックスを深く考えよう】17

(肌感覚)8

最近 わたしの住んでいる家の近くに、中華料理屋が出来ました。 83歳の母親とさっそく食べにいってみたのですが、
 
その店の素朴な料理のお話はまたいつかするとして、そこは3人の中国の方がお店をきりもりしていられて、何よりもそのもてなしの心配りに惹かれたお店でした。

詳しいことは私の暮らしてる町のことですので、またお話しましょう。

わたしが、その心配りに惹かれたのは、そのもてなしの心が、商売を超えた人間の本源からのものであり、日本人のビジネスマンがふと忘れがちになっているものでもあったからです。

そして、その本源の源泉こそ、そのひとつには、今日お話しする遠くはるかに昔の中国北方の地に芽生え育まれた「仁術」の心であることをも、そこに感じさせてくれたからです。

ひとつだけ、その店のもてなしの様子を書いておきましょう。

3人のうち日本語が出来たのは、ホールをきりもりしているたった一人のチンタオ出身の女性で、ご主人が料理をされているのですが、この方は確か香港に近いところの出身のかただったと思います。

わたしの たった三つ四つしか知らない中国語で会話がはずみ(厨房のご主人までが聞き耳をそばだててるのを私は見逃しませんでしたが)もうひとりの女性の方も日本語が解からないのに会話の渦にはってきておもしろかったのですが、

ホールのその女性は、会話の弾むなかで、私の母のよこにしゃがんで、頬ずりをするように昔からの友だちのように肩をもんでくれたりしていたのです。

このふとした一瞬ともいえる所作の中にわたしは、その中国人独特の美点を見逃しませんでしたし、 その奥に、遠く「仁術」の心の源泉を見る想いをいだいたのです。

はるか昔の 想像を絶する厳しい大地に、おそらく自らも石を運び、鍬を持ち手を豆だらけにしながら、いやセルロイドのような硬い手のひらになりながら、  偉いとかかいいとかではなく その村を同じように生き延びる仲間どうしとして、 病気の人のその痛みをすこしでも和らげようと自分のことのように体をさすり、肌をいたわって看病をしているうちに、 そこに肌の奥の感覚と医学とのつながりを深く深く発見していったのが、「仁術」の始まりなのですが、

どうか、ここをこそよくよく考えて欲しいのです。 ただあたりまえに仁の心から人の肌に触れる世界、 ここにはすべてのコミュニケーションの原点があります。あらゆるリスペクト(人間尊重)の原点があります。 あらゆる感謝の心の原点があります。 あらゆる文化の源泉の感覚があります。そこに仁の心と技術の世界が磨かれていったのです。

つまり そこには大地に根付いた生活の大地に根付いた「本来の哲学」のすべてがあったのです。

そして、だからこそ、その昔にだれよりも、このITの時代を予測もしていたのだとわたしは考えています。

中国のツボの専門家の方も 同じような見解を持っておられる方がおられますが、

わたしの場合は ツボの名称からそれにふと心づいた者なのです。

胸の上あたりのツボのある名前と、その前後の気脈の流れとの総合的なものからのある判断(簡単には いっぺんにわかってもらえるものではないので
ここでは略しますが、 特に気脈の世界は セックスとも深く関わっていますのですこしづつ説明はしてゆきますね。)なのですが、

そこではIT時代の 歌や詩の文化のある大事な観点をそれは、はるか昔に見通していた何かがあったということなのです。

いや、もしかしたら、コンピューターのことではないかもしれません、そこまでは解かったわけではないかもしれません。 その可能性のほうが人間の能力を考えれば強いかもしれません。

でも、肝心なのは、そのメッセージ自体の奥深さです。 そしてそれは明らかにちょうど私たちの時代への 強い深いメッセージとなっているのです。

そのメッセージの内容については、歌に関するカテゴリーの時に詳しく解説してゆきましょう。

ここでは、そのあたりまえの「友」へのまごころという「仁」の姿こそ それぼどの未来をも見通す 本物の哲学でありえたという隠された歴史(資料だけからでは解からないこの大地での時間の流れ)の一端を理解し憶えておいてください。

きょうは、ここまでです。

内容がちょっと、深くつっこみすぎたので、明日はちょっとあそんでおきます。

あしたの この時間もお楽しみに。


                     哲歌隊長浩 こと中村浩


((編集後記))

きょうのブログを読まれて、是非気がついて欲しいことがあります。

日本人と中国人が、それぞれ別な特質を持ちながら兄弟のような関係でもある点です。

「肌感覚」を通じた、べつな伝統の兄弟のようなふれあいが可能なそんな民族どうしである点です。

むかし、日本と中国の間には南京の大虐殺のような悲惨な戦争の関係もありました(このことは、実際に私自身が、子供の頃その当事者のお話を聞いていますので、いつか詳しくとりあげましょう。)が、 そんな不幸な世界ではなく平和な神経の中での、これからの可能性をこそ、新しい時代に探っていくべき地点です。

北方の大地だけでなく 重慶等の南方の奥地、ねむの花咲く広がる美しいその大地も、これからは、南京の関係地としてではなく、あたらしい奥深い交流をもとにした松下幸之助的なビジネスの拠点としてゆくべきときだと思っているの者なのです。

なんども書きますが、松下幸之助的なこの点の視点とは、あくまで、ここのニーズのみにとらわれるのではなくその奥の人の生涯の幸せという視点を見失わない視点のことです。

 では、きょうは、ここまでです。

またあした。


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2007-10-18

ちょいシャレビジネス哲学会 第46会【セックス】16

【セックスを深く考えよう】16

(肌感覚)7

薬草もとれぬ中国北方の、きびしい広大な大地に、

あそらくわれわれ現代人の想像も絶するような生活の困窮もあっただろうその大地に、

時には、これが地獄と思えるような阿鼻叫喚も多々あったであろうその大地に、

だからこそ、人間の良心の叫びが生み出した医学が、仁術という医学の心の原点の世界であり、気脈とツボの医学だったのだと私は想像します。


アフリカでも、その民族の習性として伝統的にマッサージをしあったり、病気の人がいればたくさんの人がその病人の体をさすってあげるという習慣をもった部落とかがあるそうです。

そういう人達のマッサージの技術は、けだし、伝承技術とはいえないその場その場の自然な営みでもありつつ、 現代の技術や科学の世界からみてもかなり高度なツボをおさへているとのことです。


でも、はるか昔に、中国の北の大地に発祥したその仁術の世界は、そのような村々の習俗として生まれたという点はあまり考えられません。 むしろその逆のゆとりなど無い寒い寒い大地での、だからこその、人間が根源的に求めた世界がそこに思われてならないのです。

まず、お医者さん自身が、極度に貧しかったり、鍬を大地に振り下ろし、腰を痛め、時には寒さに暖を求めて地をはいずる、そんな状況下、

だからこそ、友の苦しみを見ていることができずに あたりまえのもごころから痛みを少しでも和わらげる術として体をさすったり、そっとたたいたりしていたのでしょう。

ここでは詳しいそのへんの私の考察とかは略しますが、 そのような人間性の根源から「仁術」の世界は生まれてきたのだと思っています。

だからこそ、また そこには「哲学」の故郷の大地が そっと秘められつづけてきたのだとも私はおもっているんです。

ビジネス哲学とはかなり離れてしまったと思われている方もあるかとおもいますが、

でも、この仁術の世界の名医たちほど、遠いはるか先の現代のIT社会をもその哲理にて見通した人たちはいないでしょう。

わたしは、そう考えています。

あした その根拠をすこし書いてみましょう。


では、また あしたも お楽しみに、 

個々のニーズにとらわれているのではなく、 もっと大きく人の幸せをとらえて対応すべき時代に、 いまやビジネスの世界も入ってきているとおもいますゆえ‥。

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2007-10-17

ちょいシャレビジネス哲学会 第45回【セックス】15

【セックスを深く考えよう】15

(肌感覚)6

みなさんは、ツボの医学というのをご存知ですか?  ツボ療法というのを聞いたことがあるかとは思いますが、

その効果については、今一科学的に信頼が出来ないとか、効いたり効かなかったりのうわさに、どこか今一の療法というイメージもあったりするのではないでしょか。

このへんは、私の考えでは、もっと西洋医学や科学の実験的な方法で研究されなおすべき世界だと思っているのですが、

これはまた、簡単な西洋医学と東洋医学の合体という問題でもないと思っています。

詳しいことは、そのカテゴリーの時に扱うとして(健康カテゴリーは、予定の内ですので)、 

たとえば、私自身が一番最初にツボの興味を引かれたのは、こんな具合です。

その頃は 歯が痛くなる時が多かったのですが、時には混雑する料理屋で歯の痛いのをがまんして一時間以上もかけて何とかかんとか、半分食べ終わった とかいう体験があったりします。(その痛々しい様子をご想像ください。)

こんな時に、わたしは、歯の痛みを薬より早く治すツボを本屋で見つけた本から知り試してみました。

正確に痛い方の下あごと口との間辺りの位置をさぐり、そのツボを下から角度もまちがえないように押すと、なんと、これは早いなんてものじゃないです。 ほんの1秒程度で痛みがまったく消えてしまったのです。

それは治療自体ではなく、痛みだけが消えただけだったので、これで、わたしは、その頃何度も何度も自分自身の体のこの面については、明らかな科学的実験をしてしまったということです。

いつやっても、それは ほとんど「あっ」という間に ものすごい痛みが消えてしまいました。  なんていうありがたいことだと思いました。

もちろん、これは、それが万人に効く歯痛にきくものかの実験ではありませんが、こうして本に書いてあるツボが正確におせばたしかに素人でもあるていど、いや時にはまさにツボにはまればそうとうな効果を発揮するときがあるということを始めて体験上知ることとなったのです。

そのころは、こころにも生活のもゆとりが無いときでしたから、他の人の場合の実験とかは私のほうでは実験できませんでしたが、

その数年後には、こんどは胃痛で悩まされた時期があり、(これは胃潰瘍と胃下垂のダブルパンチだったのですが、ここにそこからくる背中のこりが加わるこれもかなりつらい症状です)その時も ツボの知識は大変役立っています。 これはちょうど同じような症状の友がまわりに何人かいた時でしたので、その人達にもそれはわたしが押してあげたいへん喜ばれたことです。

これは治療にも効果はあるそうですが、やはりともかく苦痛を「ふかくやわらげてくれる」という感じで効いたからです。

「うわあー、ありがとう中村君、楽ーーになってきたよ。」こんな感じでした。 自分自身もそうでした。

こうしたことは、他にもここに特記したくなる例もたくさんありますが、(たとえば、足がつるという場合、たの有効なストレッチによる方法よりも自分自身でもやりやすいのが、てのひらのツボの刺激です。 ひどい時にはストレッチでは治りません。スポーツマンは回復力も健康だからすぐ治るのです。老人の場合などは、 これは時間はかかるのですが、手のひらをともかくどこでもいいからしげきしてみてください。 これは、おおくの治療例を私自身が見ています。)(詳しくは もしかしたら次のカテゴリーで扱えるかもしれません。)

きょうご紹介したいのは、

こうして、身体の表面、肌の上のツボと医学を結びつけてそこに治療法を発見していった人達が、 薬草のとれない中国北方の大地に、そのきびしい生活の只中に、それこそ何千年もの昔から存在していたとい点なのです。

とおい昔の世界のことでもあるので、きょうはそのへんの現代の生活のなかからの実感から説明してみました。

では、あしたは、もうすこしその歴史の世界を想像してみましょう。


あしたのこの時間もお楽しみに、


                      哲歌隊長浩 こと中村浩


((編集後記))

次のカテゴリーについて語るのはまだ早いですが、 いろいろ考えてるうちに「体操」や「健康」と関わるテーマにしようというという気持ちになっていますのでお知らせしておきます。

スポーツについても取り上げていきます。

だいたい1つのカテゴリーは一ヶ月前後は続きますのでお楽しみにしておいてくださいね。

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2007-10-16

ちょいシャレビジネス哲学会 第44回【セックス】4

【セックスを深く考えよう】

(肌感覚)5、

肌感覚が、どれだけ日本語独特の表現に影響を与えているかということは、なにも昨日までに何度か触れました「体の部位の名称を使っての、精神的な言葉」だけではありません。

独自の季節感を現すさまざまな表現にその肌感覚との新鮮な出会い、循環、生き生きした影響が見られます。

「そぼ降る雨」「しとしとと降るゆく雨」「しんしんと雪降り積もる」「しみいるセミの声」「秋の夜長」 微妙な感覚ですけど、わかると思います。

いつか言語学的にも、立体的にも触れていくことがあるかと思います。

また、体の部位を使った言葉での精神的意味合いを持った日本人独自の言葉についても、 深追いはしません。

ただ、1つ例を掲げておきますが、

「あいつ、なかなか骨がある」という言葉ですが、これはふつう外国人にはなんのことかそれこそさっぱり解かりません。  犬にだって骨はあるのですから(笑)。

でもこれは、英語にもそれに似た使い方はあるんです。 くわしくは解かりませんが「〜ボーン(骨)」という形で、ともかく何らかの精神的な意味合いを現しているようなのです。

同じように辞書で若い頃さがしていて見つかったのはこれだけですが、 もちろん、その解説を読むかぎり、その意味合いの深さに関しては、100と1の違いを感じました。

そのぐらい、日本人の体と精神のつながりの感覚にはすぐれた伝統的なパワーがかくされているのだということは、ここに憶えておいてください。


そして、このことは、遠く中国北方に地、 薬草もとれぬ北の広大なきびしい大平原の地にて発達した「肌」の上のつぼと気脈の医学と仁術の心の世界を、想起させるものでもあるのです。

この哲学の冒険旅行は、ここで、つぎには、はるか昔の古代中国に起こった医学の源泉とも言われる「仁術」の世界における「肌感覚」の世界を、しばし旅することとなります。

実際には、肌の上の気脈の世界を学習するのはなかなか大変なことです。

でも、ここはほんの導入編です。 おもしろおかしく楽しく進んでいきますのでお楽しみに。

じつは、わたしが「セックス」の世界を人に語る自信をもてるようになったのは、私の場合、この気脈の世界を知ることができたからでもあるのです。

ここには、その究極の謎のようなものを解く鍵が秘められています。

では、あしたのこの時間もお楽しみに、

きょうは、ここまでです。


追伸

書き忘れましたが、 その「仁術の世界」を現代に最も役立つようにその心も医学も復活させる最大の力を秘めた民族は今では、日本人なのではないかと私は思っています。  なぜならまさに私たち日本人は 世界に類を見ない「肌感覚」の深さを持った民族だからです。

今、そのように感じない人にも、その可能性や大きく宿っています。 どうかこの「ちょいシャレビジネス哲学会」というブログを読み続けていってください。あなたにも、その可能性はあるのです。


                   
                  哲歌隊長浩  こと中村浩


((編集後記))

今 このブログで、後々にもっともっと活用していこうと思っているOKウェーブという日本最大のQ&Aのサイトにて、

わたしがその哲学カテゴリーの中で質問した「哲学は何故難しいのでしょう?」というタイトルの質問に さまざまな方の熱い熱いご回答がつづいています。

それにたいして、わたしが補足質問する形にても、その議論が白熱化してもいます。

ちょっと「セックス」とは離れたテーマに思えるかもしれません。

もちろん、この質問の応答にかかりっきりになってしまったために肝心のこのブログテーマの質問が始められなくなってしまったということはあります。

でも、その「哲学」をめぐる議論は、それぞれ深い人間性に根ざしています。

若い頃、なんと地球物理学のかたから教わったのですが、その人間性をつかさどる脳の部分は前頭葉と呼ばれているところで、これが発達したから人間の性器は、動物の中で唯一その感性の世界をも発展させつづけているのだ

というセックスの話になってしまったのです。

まだ ここでは、話はそこまで進んでいませんが、そのうちに詳しいお話をしてゆきますので楽しみにしていてください。

ともかく 人間性の深くを探り行くその道、その熱き熱きその論議 あながち「セックス」のテーマからはずれてるとは言えないかもしれません。


興味の在る方や、Q&Aに詳しいかたは、検索して覗いておいてみてください。


  では また あした。


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2007-10-15

ちょいシャレビジネス哲学会 第43回【セックス】3

【セックスを深く考えよう】

(肌感覚)4、

物事は、お互いが循環しあいながら、有機的総合的に つまり生き生きと生き物の血液循環のように命の全体とかかわりうような形で、命を守り、また進化発展してゆきます。

ものすごく単純な真理なんですけど、あまり単純すぎるということからも、その重要性とかそのひろがりの広大さとか多様な姿とかがけっこう見落とされてもいる世界です。

きょうはいきなりちょっと難しい書き方となってしまったかもしれませんね。

ともかくいいたいことは、 今日書きますとことの「日本語には、体の部分の名前を使ったさまざまな精神的な内容を現すすばらしい言葉 考えるほどに深い言葉がたくさんある」その具体例の数々は、結局 今のこのブログのテーマである「肌感覚」、日本人には他のどこの国より発展しているこの「肌感覚」とこそ、お互い循環しあいながら発展してきたのだということを知ってもらいたかったからです。

あ、

また説明だけで 肝心の具体例が書けなくなりそうなところでしたね。

では、さっそくいってみましょう。

「爪のアカを煎じて飲む」(これは、何も足の爪ということではないでしょが、ともかくひれふしてそんな感じででも、すこしでも学びたいすばらしいところを持ってる人ってたくさんいますいよね。 学ぶ心のことをも意味してると思います。)

「ひざ突き合わせて」(いい言葉ですよね。)

「腰が低い」(すでに書きましたっけ、 でもともかくこれもいい言葉ですよね。 西洋人に説明しようとしたら「昔の日本人の事ですか」と言われました。おもわず「はい、そうです。」と言いそうになりましたが、 意味が微妙にすれ違ってることに気がついて止めました(笑))

「しりが重い」(いい言葉ですよね?、 反面教師としてですが。)

「しりが軽い」(これも いい言葉ですよね? ‥としてですが。)

「腰が重い」(しりが重いというのと似てますが、どっしりしてるという意味合いも少し重なってて、 いい意味での慎重さの意味でも文脈によっては使われる時もある言葉です。 微妙にニュアンスが違うのもおもしろいとことろです。)

「腰が据わってる」(これは 完璧にいい意味で使われています。)

「腰が割れている」(これは、相撲などの高度な格闘技で使われる専門用語ですが、まさに高度な実践的なバランスをさまざまに示唆していて面白い哲学の世界です。 ここでは解説しませんが、皆さんご自身で考えておいてください。)

「腹が据わってる」(「腰が据わってる」との微妙な、しかし奥の深い違いがわかったら最高です。これもここでは、まだ謎としておきましょう。)

(中国のつぼの世界で言うと 気海というつぼがそれにあたり、触診の世界ですから其の一点は正確にへそ下何センチとか決まっていたりしますが、感覚的には、気の海ですから、 ほとんど同じことを意味してると考えても通じる面があるんです。)

「腹が減った」( あ、 これは冗談でした(笑))

「へそで茶をわかす。」 (たった今 もうすこし下の体の部分の名前を使って茶とわかしてしまいました。ヘーそ。)


(其の上が ヨガの考えで言えば太陽層ですね。このあたりの胸とへそのあいだの言葉は、でも日本のそれにはありません。 なぜでしょう。 これはむずかしそうですね。でも、これもこのブログではやがて大きな課題となります。 お楽しみに。)

「胸襟を開いて話し合う」(襟(えり)というファッションデザイン用語としても考えることのできる言葉が、昔からの日本のこの言葉のでてきています。「襟を正して」というのもたぶん、日本独特のもの(これは詳しいことは知らないのですが)でしょう。 というふうに考えても、同じ意味合いの「胸を開いて話し合う」という言葉、心の内側から包み隠さず本音で話し合おうとい意味あいの単なる強調を超えた何かの深みが加わってると考えておいてください。)

いや、

いや

これはです。 いくらでもあるんです。 とてもホンとは書ききれません。

今 したから順に思いついたものを書き出してみただけなのですが、昔若いころ、nん?と思ってきゅうに好奇心がもたげ、いったい幾つあるのか辞書で調べたことがあるんですが。なんと200以上あった記憶があります。

今 暇じゃないのでできませんが、暇なかたは、調べてみてください。

肝心なのは、こうした言葉がそれぞれ結構意味が深く、しかも日常的にか語られていてるのに、 外国には世界中さがしても見つからないという点なんです。

いったいなんで この日本の風土だけにこうした言葉が発達したのでしょう。

このこと自体を言語学的に追ってゆくのは、 再び第二の「言葉ってなんだろう?」というカテゴリーが始まった時の宿題とお楽しみにとっておかせていただきますが、

これこそが 日本人の肌感覚を育て、この肌感覚がまた この日本のみのこの言葉を育て、 おたがい血液のように、生き生きと生活哲学として日本の風土に育ってきた、 その大切な 心の伝統に、 ここでもう一度目を向けておいてほしかったのです。

では、 きょうは、ここまでです。

明日も また お楽しみに


                     哲歌隊長浩 こと中村浩


((編集後記))

秋も深まり、肌寒くなりました。

お体におきをつけて、精進なさってください。


すでに書いたような気もしますが、繰り返します。

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2007-10-14

ちょいシャレビジネス哲学会 第42回【セックス】12

【セックスを深く考えよう】12

(肌感覚)3

人間の脳を右脳と左脳に分けた実験がさまざまに行われているようです。

このことについては、その科学的実験自体を疑えなくても、その前後の言葉の曖昧さがもたらす語弊もあるのではないかと、わたしには疑えるところも多々あるところです。

でも、おもしろい観点がここからたくさん生まれてきているのは事実のようです。

西洋人の脳と、日本人の脳のそのへんの違いについてなのですが、

ともかく 「海の音」、「川のせせらぎの音」、「虫の声」、等を西洋人は右脳で、日本人は言葉と同じに左脳で聞くのだそうです。

つまり日本人は、そうした自然音を人が話しかけてるかのような聞き方をするのだそうなのです。

そして、ここでおもしろいのは、日本語に長い間親しんだ西洋人も、日本人と同じに、右脳と左脳の働きがそのへん日本人と同じになってしまうのだそうです。

その実験にどのような曖昧さがあろうとも、結果は、右と左の2つなのですから、それが何かの確かな意味合いを示唆していることは確かなのでしょう。

言葉にても「そぼ降る雨」「しとしと降りゆく」「しんしんと降る積もる雪」「さわさわと吹く風」とかとかの日本独特の言葉もありますし、そこには独特の四季の影響もあります。

そうした感性→言葉→感性という循環が、やがて、生み出した言葉ですから、それが長い間に 言葉に親しむだけでも、西洋人の感性の一部が日本人の感性になってしまうということも十分ありえることでしょう。

肌感覚もしかりです。

しかし、ここにその肌感覚が 昨日のブログで語った日本人にしかない「体の部分の名称を使って精神的内容を意味する言葉」との循環で、お互いが育ってきた歴史が想起されるところです。

わたしが、疑うのは、西洋人の感性が日本語をどれだけ親しんでもそれはそれで残るはずのところ、どのへんのところでその左脳反応(「海の音」とかを聞かせたときのです。)が起こるのかの前後が不明確なところと、それが日本語に外国の地にて親しんだものなのかどうかという点もはっきりしないことと(厳密に言葉だけの影響かどうかとなると、日本の四季や風土の映像とかもカットしなければならない面とかもありますから、まあそれなりにでもいいのですが、日本に暮らしていたのなら、別問題となってしまいますからね。)

なによりも、右脳反応を示した時点で、日本人の感性を身につけたといえるのかどうか、そのへんがまったく明確ではないはずだということなんです。

すみません、ふと思い出した右脳と左脳のお話が、この今日書こうとしていた「日本人独特の、体の部分の名前を使って精神的な内容の事柄を表す言葉」の実例を列挙する前に、長い文章となってしまいました。

さあ お待たせです。

脳科学者でさへ、まだ明らかに明らかにすることが出来ないでいると思われる日本だけにあるそれらの言葉ですが、

さっそく あした(笑)列挙してみましょう。 (す すみません(笑))


ということで、きょうは、このへんで。

いくらでもありますので すこし付け加えておきますね。

「あいつは なかなか骨がある」(外国人が聞いたらなんと思うのでしょう?)(あの猫なかなか骨がある とも いいますよね。 嘘ですが(笑))

「首が回らない」(西洋人が聞いたら救急車を呼んでしまうかもしれませんね。)

たいへんながらくお待たせしました、あしたこそ お楽しみに♪


   
                     哲歌隊長浩 こと中村浩



((編集後記))


ビジネスの世界でも 疑う(邪推して人を非難するための空想的な疑い妄想とかのことではありません。)ことは大切です。

疑った疑って疑い抜いて 始めてブレない心が生まれるのだとわたしは確信しています。

ビジネス(起業)について、すこしシャープに疑っておきましょう。

まず全体的な統計では、 けっきょく経営という実践に踏み切るほどまでにポジティブな(ここにも多少の疑いがあります。実践に踏み切れた全ての人が真にポジティブであったかどうかとかの検討の余地とかはありますが。
ここでははしょりますよ。)人達のうち何割が成功するかというと2割であけです。  

そのうち、年代的統計にては、30代が一番成功確率が高いとのこと、これは若い時から充分にその学習や体験をその気で積んできていた人達の成功確率でもあると言われています。

資金面、経験面、人脈面、であっとう的に有利と思われるシルバー世代の成功確率は 実際には、にもかかわらす非常に低いと言われてもいます。

では、私のような 一の追求がいつしか多に変化する ということを知らす一心不乱に ある1つの事を追求してきてみたら、

生活は貧乏のどん底の、二重構造の下のあたりを俳諧する老人にもなっていたという場合にて、 同時に「多」の統一の地のまで来ていた人間のビジネス(起業)成功の確率は どうなのでしょう。

資金、ビジネス経験、経営経験、人脈、ゼロです。(マイナス要素さえあります。)

統計的には ゼロではないでしょうか?

抜け道というものが、抜け目の無さという知恵を「多」のうちに宿していれば、こんな統計をも突き破れるずるい道ならば、ありそうですよね。

でも、「和」をとことん尊ぶところまで 多くを疑いぬいた哲学人のすべき道ではありません。

はっきり言いましょう。 私自身は、このまま成功しない確率も高いです。

たった1つの方向が 「和」です。

「和」はビジネスの根本でもあるでしょう。 

しかし、ふかずぎる「和」の提示には時間がかかりすぎます。

わたしという哲歌隊長の立場では、成功の確率は低いとも考えられます。

でも、この徹底したブレない「和」の道を しっかり読み取った若者たちや、
他の通常のシルバー世代の方たちの、この「和」の力を得た場合のビジネス(起業)成功確率は どのように推理されるものなのでしょう?


私の推理は、こうです。

次の世代のビジネスを世界的にリードするのが日本人であるとするならば、この「ちょいシャレビジネス哲学」を読破したような、新しい哲学を老人たちから学んだ若者たちでしょう。

これだけは99,9‥♪%の推理成功確率と思っています。


では、この「ちょいシャレビジネス哲学会」のその日をめざして乾杯。


きょうは、このへんで。

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2007-10-13

ちょいシャレビジネス哲学会 第41回【セックス】11

【セックスを深く考えよう】11

(肌感覚)2

このブログは、スレッド・テーマにあるように「政治・経済・社会問題なんも」のとおりに、まずビジネス・ブログの内容ですし、政治・経済も含んだ社会問題にも突っ込んでゆくブログです。

でもそうした社会問題に対して、わいわい騒ぐブログでもなく、マスコミに踊らされて発言するブログではありません。

ゆっくり、あせらず、その本道を進む。 これだけです。

まあ、ゆったりと、お風呂にでも入って、時にはくつろいだ肌で、お月様の色合いを感じとってみませんか。

昨日、人間の肌には視覚機能があることを現代科学が発見し始めていることに触れましたが、 われわれ日本人は、昔からこの肌の感覚には深いものがありました。

そこから生まれたのが、「肌寒くなりました。お体におきお付けください」とかいう手紙でのあいさつ文だったりします。

「お体をたいせつに」。これも私たちの思いやりの文化の一つとなっていますね。

日本には、体の部分の名称をつかって精神的な意味合いを現す言葉がたくさんありますが、それは、このような文化から来ていると考えられるところです。

そして、その根元にわたしは、この小テーマ(肌感覚)の純日本バージョンがあるというふうに、肌で感じている者なのです。

じつは外国にも、体の部分の名称をつかって精神的な何かを比ゆ的み表現する言葉もすこしはあるようなのです。

でもニュアンスが日本のそれと比べると あきらかに深くないですね。

あした、その実例をたくさん掲げて見ます。

「足元をみつめよ」「ひざをつきあわせて」「腰がおもい」「腹がすわってる」「胸をひらいて話し合う」「あごで人を使う」「ひたいに汗して」とかとか、  みなさんも考えておいてください。

いったい幾つあるとおもいますか?

では あしたのこのブログも お楽しみに。


                    哲歌隊長浩 こと中村浩

((編集後記))
 
このFC2のフォーラムの雑談掲示板に 「ユーモア雑談」というトピ(トピック、話題)を立ててみました。

でもだれもレス(返信)してくれません。

始めての雑談掲示板で、どこか使い方が間違えてるのかもしれませんね。

ちなみに「ひとことスレ」という他の人のトピに人気があり、めちゃくちゃなほどにレス(返信)がついているので、 私もさっそく参加してみようかなと開くと、 なんと、その数多いレスの1つさへ私には解読できないことを知りました??+????。

たぶん、そべては、わたしが、ネット音痴のなかのネット音痴の状態を生きているからなのでしょう。

告白します。 わたしが、このブログを始めるのに、それの機能をやっとなんとか表示できるようになるのに8時間かかってます。(かかりっきりでです。)
しかも じっさいに始めてみて何度か失敗し、たしか3回目からつまり3日目からやっとスタートできたんです。

いやいや、さらなる告白をしてしまいましょう。

何年かまえに、いちどメルマというサイトからメルマがを発行していた時があります。メルマのリニューアルの後に、わたしには出来なくなってしまうまでの間ですが‥。  そのメルマからメルマがを発行できるようになるまで なんと一ヶ月かかったんですよ。 (たぶん、調べてる人でもいれば新記録笑、前代未聞で笑、ギネスもので笑。)
ほんの ほんのすれ違いを メルマへの問い合わせにてメルメの担当者とのメールのやりとりにて 一ヶ月もし続けてしまっていたのです。

それぐらい私は この分野苦手です。

でも、負けてはいません。 こうして、またネットをはじめてます。 それも今度は 何があっても 進むことだけは忘れないぞと決意してです。

このままわたしが独学を深めたいと思えば、時間はもはや私の人生に残されてはいないかもしれません。 しかし、こうして、魂からのブログを書き続けていれば、いつかは、わたしにネットの基礎を教えてくれる、身に付けさせてくれるネット教育の達人ともお友達になれる可能性が生まれます。

それを信じて そのために私は日々このブログを書いているのです。(目的はそれだけかっちゅうーの。(笑))

あ 編集後記が長くなってしまいましたね。

では、きょうはこのへんで。

ま、ゆっくりいきましょう。 

肌の奥(心の事)にお月様でもながめながら。



             

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