2007-09-30

ちょいシャレビ哲 第27回【言葉】(笑理の宴)13

【言葉ってなんだろう?】

(笑理の宴)13

きょうは、洞穴の中の旅人のお話です。

もっとも深遠な哲理のお話となるでしょう。

くらーい、どころかさらに暗い洞窟の中の旅人のお話です。


人は太陽にこそ「希望」を見出します。

心の世界で言えば、何者をも包み込む太陽のような大きな心にこそ、人は誰も心の奥底、無意識の深みからはそこにこそ「希望」を求めているはずなんです。

でも、いざ、本気でその「希望」の光を探ろうとして、心の世界の真実を見つめようとすると、そこに見えてくる世界は、間逆の「闇」の世界です。

人間の世界はサル等の他の高等生物とは大きく異なる「見つめる目」があります。 自他の状況を客観的に「見つめる」能力です。 だから反省し進歩し、人間の文化と言えるものが発展してきたわけです。

でもそこでさらに、心の世界を見つめ始める時、我々人間はそこに「闇」の世界をも見ることとなります。

五感の奥には、常に「欲」がからみ、そこには自我や利己の心も関わるとともに、同時に人間はそれに巻き込まれない「目」も持ってて、「社会性」とか「倫理」とか「道徳」とか「人間的価値」とかの模索も行ってきたわけです。

この自我と無我、利己と利他の狭間(はざま)にて、本気であるならば、人は「闇」の世界に紛れ込むのです。

くわしくは、今回は残念ながら紙数の関係で書けませんが、
たとえば、昔には仏教の世界で、その求道者たちがこの闇の世界を見つめています。

この真っ暗な いやそれを越えて真っ黒でさえある闇の世界の
「洞窟の中の旅人」となっていったのです。

そのことを仏教徒の場合は、「海の砂粒のような無数の迷い」の世界と表現しています。

ほんとうの菩薩の世界とは、ほんとうの利他の世界とは? とそこまで思索の旅を推し進めさへしなければ、その迷いはやって来なかったのに。

キリスト教の場合は ここまで本気の人間性の求道は少ないようですが、その分、時としてその闇の世界は、まさに闇の中の闇をさまよう「洞窟の中の旅人」そのものでもあったのです。


すみません、このような解説とともに書こうとすると今日の分の文はさらに長くなってしまいますので以後簡単にまとめます。(べつなカテゴリーの時にくわしいこのへんのエキサイティングなお話の続きを書きましょう。)

ビジネスマンがそこまで深く哲学する必要は無いと思うかもしれませんが、ともかく昔の求道者たちは、この心の洞窟の旅路を時に絶望の淵をさまよいながら、それでも希望の光を求めて歩き続けたんです。

だからこそ、そこに見つけた光はたった一点でさへ、もはやどんな苦しい時にも消えることないまさに思索の希望の光たりえたのでしょう。まさに永劫の力強い光たりえたのでしょう。

悟りの世界とかは、私たち凡人にはそのさらに向こうのとてもたどりつけないような世界なのでしょうが、こうしてそのような求道者たちは、私たちの「哲学」の旅路に勇気を与えつづけてくれています。

そこまでの闇と光の深き淵の旅ではなくても、

わたしたちの哲学の道、思索の道は、すべてが、謎や迷いからの脱出の道です。
ある意味闇を破ることこそ、哲学の知性の道であり、そのすべては「太陽」への道であり、より明るいこころへの道であり、旅路であり冒険旅行であり、「「笑理の宴」」への

「ちょいシャレビジネス哲学会」の道ななn  な  な

最後がすこしドモッテしまって上手くかけまsssせん(笑)でしたが、

きょうの「ハハハ」の漢字パズルは、じつは遊びとか語呂合わせとかいうより、言語学的にももっと検討されていい破のお話でもあったんですよ。

人は 無知、無明の闇を突き破った時こそ真に明るい笑いを破裂させる生物でもあるのです。


あ 破破破破破破破 破破破破破破破破破破破破破破破!!!!  ♪。




((編集後記))

きょうは日曜日ですが、午前中に想定外の仕事が入り、それも想定外の雨と風の中の作業となりました。

でも、きょうの仕事(現場仕事)はそれだけでしたので、あとはこの編集後記もゆっくり書けそうです。

さて、きょうの本文の文とも関係ありそうですが、

太陽のような心とは、あまりにも広い心であるか それに向かう心のことを言います。

でも あまりにも広い心は、そのままでは広すぎて知性や心に捉えられなかったりもするところです。

感性の世界のその奥は、まさに太陽のように広大な世界です。理屈をこえてそれは巨大すぎる世界でもあるのです。

もし このブログがその感性の世界だけで進めてゆくとしたら、とても現実の私たちの心やニーズとともに歩むことはできなくなるでしょう。

広すぎるがゆえにかえってマイナーな一部の人の哲学となってしまいかねません。

そこに必要なのが 月の光の道筋です。

ほんものの月の光は、ほんものの太陽の光を反射しています。

偽者であっては意味が無いですが、月という知性のフィルターをとおした感性の表現の道が本物ならば、 それもまた、太陽に通じる道であり、笑理の宴への旅路です。

しかも、月ならば、それは人のニーズと合流し、そのままビジネスとも通じてそのツキをも呼び込む道ともいきいきとシナジー(相乗効果)を生む思索展開にもなってゆきます。

しばし後、このブログは、じつはそれを太陽と月に例えるならば、月食の世界に突入してゆきます。

はっきり人の心の中の欲望の世界を扱います。知性をとおした本物の月としてその泥沼の世界をも扱います。道徳の世界もきれいごとの世界としてではなくむしろ非道徳の世界を正義の道の一つとしてうかびあがらせたりもします。

が、その裏にはまさに太陽こそが その本物の感性こそが隠されている世界。  そのような月食の世界に突入してゆくといういことなのです。

これこそ、そこにツキを呼び、運を呼び、運機をも呼びこんでゆくブログとなってゆく事始めとなってゆくでしょう。

具体的に何を書いてゆくのかは もう少しの間秘密(笑)ですが、

いよいよ あと何日かでこのカテゴリーもひとまず終わり(中断し)、その月食への突入していくのですから、編集後記ではそろそろご紹介を始めておこうと思いました。


では、あしたの「編集後記」もお楽しみに。 (本文もですが(笑))。









 


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2007-09-29

ちょいシャレビ哲 第26回【言葉】(笑理の宴)12

【言葉って何だろう?】

(笑理の宴)12

すみません、 ふと

ふとなんですが、きょう書こうと思ってたこと忘れ(笑)てしまいました。

時間が無いもんで、 きょうはここにて思いついた事書きます。

もちろん(笑理の宴)というテーマに添ってです。





書いてるうちに、思い出しましたが、 このままいきます。
それはあしたにまわします。

このほうが、哲歌隊長浩らしいですからね。

まあ ちょうど、今 いそがしいだけじゃなくていろんな事にけっこう頭が飛んでいます。 

Q&Aもそうですが、実際にもとあるリアルな「ちょいシャレビジネス哲学会」の趣旨をもったグループを作ろうと考えていますし(もうすこししたら、たぶんそのビジョンからですが発表できると思います。) ほんとに
その場その場で頭が他の事に集中してしまうんです。

ともかく そんなわけで このきょうの文をいざ書こうとしたら、ふと
今日何を書く予定だったのか忘れていたんです。

膨大な量の書く予定の文とかあるいはそのきっかけとなるテーマとか言葉とかが、私の中には長編小説何十冊分以上の量で存在しています。

いままでの生涯考えてきたことが、ちょうど「鳥瞰図」のような形でまとまっているために、そんな量のものがごちゃごちゃにならずに、その場その場でうまく必要な文として出てくるわけです。

天才どころか知能指数も記憶力も一般以下なのにです。 それが知恵の力です。 それが「哲学」(難しい言葉で自らの頭をこんがらがらせている哲学者とかもいますが、私の場合その逆ですから(笑)。)の力です。

それは計画図や設計図のように 常に時間を追って照らし合わせながら進めてゆくものではなく、 ブレイン・ダンプという思考法(これは 次のカテゴリーに移る前に是非くわしい解説をしたいと思ってる思考法ですが)のように、一度むしろ忘れることによって、  実際にはより行動的に必要な場でそれを思い出せるようにする思考法に似ています。



さきほど、それがうまくいかず ふと  ふとですがです(笑)忘れてしまったのは、うまく必要な時にでてこなかったのは、 まだその鳥瞰図思考法が未完成交響曲だからでしょう。

でも、その場で、あっという間に思いついたきょうの分の文というのは、

さっそくQ&Aのアンケート質問で回答者様の回答にて学んだことの応用です。

こ この柔らかさを生むのがその「鳥瞰図」であり、「ちょいシャレ哲学」の力なんでででで   

  いつものように たたへんな いいわけをしておりますが

ま いいじゃないすか それも一理ありです。



 で

きょうはタモリ語のお話です。

わたしがまだ若かりし頃、たまたま東京の日比谷公園をとおりかかった時のことです。

なにか大勢の人が集まったフェスティバルのようなステージがありましたので、無料で見ることができるようでしたので入ってみたのですが、その野外ステージは山下洋介のジャズのステージだったのです。

でも そこに登場した芸人が一番ユニークで元気があって、その時はこれも元気のある子供といっしょに登場したのですが、それが一番印象的でした。

そのおもしろいおっさんが 後で知ったのですがタモリだったのです。

そのタモリ語をそのフェスティバルではなんと山下洋介が歌でやってました。


じつは、タモリ語というのは、タモリの専売特許というのではなくちゃんとしたジュベリッシュとかいった名前の幼児言語を活用した技術として昔から知られている瞑想としても使われたりする話術訓練の方法なんです。

私たち文明人は 頭を使いすぎていて、ふだんそれに行動や思索範囲ががちがちに規制されてしまってるところがあるため、

いちど、何も考えないで自動的に言葉が意味不明でも口から出てくるようにすることで、頭にとらわれてしまっている会話をもっと行動的に即興的にいきいきとしてものにしてゆこう という主旨で瞑想としても使われていたりする方法なのですが、

これが 実は 簡単な方法でできるようになります。

「ラ」という発音を使うのです。

ラ ラ ラ ラ  ラララララララ と繰り返しておいていきなり何も考えないで他の発音を発生してみる。 それだけです。

うまく他のその発生が自動的に続かなくなれば即ふたたび「ラ」に戻ればいいんです。

例えば

ラララララ バシュララドドドピラシュラバッチュガミランネコビ ララララララホシマセタラリラリ

あ 馬鹿馬鹿しい?   そう思ってしまったらおしまいです。

いちどこれは馬鹿になってみることがその方法なんです。

かんじからめに固まった頭脳を柔らかくすることがもくてきなんですからほんとに馬鹿になってしまうどころか、もっと柔らかい頭脳を獲得できるんですから、 馬鹿にしないでくださいね。

詳しくは これは二人一組になってやるともっと憶えやすかったりしますし、これを使ってのおもろいお遊びはいっぱいあります。

芸能人ではタモリのほかにもとテニスプレーヤーの松岡修三なんかもかなりの使い手として知られています。彼もそのお遊びは得意のようです。


え ビジネスとは関係なさそう?  でも芸能人の中で芸人としての儲けで
トップお金持ちは誰ですか?タモリですよね。

とんでもない、この柔らかい頭脳こそ 経営者の素養であり、これを養うにはそこらへんの訓練法ではいっさい出来ない世界とも言われていて、このタモリ語のようなところにこそ その秘密の鍵がかくされてるんです。

え では この哲歌隊長はどのぐらいお金もちなの?

これ現在 真逆です。

83歳の母と暮らす身、肉体労働者、この二つからのもろもろの条件化にて月に一冊の本すらほとんど買えない状態です。 いやもっとマイナス状態です。  

それは でも一言で言えば今だから言えますが、一筋ひたすらわき目もふらずに自分のあるべき道を歩いてきたからです。その過程で、何十年間もの間ビジネスとはいっさい関わり無く人生を歩んできてしまったからです。

ところが、もうこのブログの愛読者の方にはすこし解かると思いますが、その膨大な量の思索が 今ここに来ていきなりビジネスの思索とも有機的総合的に結びつくこととなったということです。

しかも柔らかくです。

手相のこともそのカテゴリーを書くときにお話しますが、超億万長者の相がしかるべき場所に出てきました。どんどんはっきりしてきています。

しかも、そこに繋がるあることを意味する手の相が底に向かってこれもはっきり出ています。(詳しいかたならこれが何を意味するか解かるでしょう。)

いや、はっきり言えば 私自身は、これからも失敗するかもしれません。つまり私自身は大金持ちにも大事業家にもなれないかもしれないんです。

手相がどうあろうともです。

そのわけは この(笑理の宴)中でも書くこととなると思います。その予定です。そのへんをよく読みとってください。

しかし、このブログには、その億万長者への秘密の鍵がいっぱいちりばめられているはずなんです。


きょうは 実は Q&Aのサイトで回答者様から教えてもらった回答の中の
「ははは」でなく「かかか」という笑いかたはどのようにして生まれたのかという疑問に答えて書いてくれた解答から これをふと思いついて急遽書いてみたのですが、

「カカカ」という笑い方は、もとは中国の    すみません現在自分の使ってる漢字変換の機能にはその漢字がでてこないのですが、むかし中国ではその「か」という字を「は」と発音していたらしく、それを日本語に訳した時に文学的に「カカカ」という当て字になってしまったようなのです。

ちょっと苦しいですが、時間が無いので きょうの億万長者の笑いパズルをこんなふうに 即興でもじっておきましょう。

 バはははははをもじってです。

頭を柔らかくする笑い方は

ばカカカカカカカカカ バっカカカカカ   カッカカカ、 カツ!



あしたは 予定を忘れないようにします。
お楽しみに。

((編集後記))

しばし、紙数がかえっておおくなっていて、この「編集後記」を書く時間がうまく取れませんでした。 きょうも、これにて失礼いたします。

   では よろしくおねがいいたします。
 
          哲歌隊長より





今朝も時間ぎりぎりでしたので、こんなふうな「編集後記」となってしまいましたが、 夕方から時間がとれましたので、26日、27日、28日と「編集後記」の編集を後から書いておきました。

この欄に興味のある方は 26日は私の誕生日でしたのでそこから簡単な筆を起こしてたりしますし、是非読まれてみてください。


きょうは、簡単なお知らせのみにします。

Q&Aのサイトに新しい質問を仕掛けましたが、そのお知らせを明日します。 あしたの編集後記をお楽しみに(お知らせでした(笑))


では、また。



 
 

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2007-09-28

ちょいシャレビ哲 第25回【言葉】(笑理の宴)11

【言葉ってなんだろう?】

(笑理の宴)11

今日は、グローバリズム(国の枠とかを越えて、地球全体を一つの共同体とする考え方。というふうに辞書とかに出ています。)についてです。

グローバル・コミュニティーというと、

地球環境問題とか平和問題とかの国際問題を話し合ったり、その問題と絡む企業間提携とか の事を意味しますから、 そこからイメージするとグローバリズムという言葉のニュアンスがはっきりしてくるのではないかと思います。

ビジネスでは、より国際的に大きな視野,視点にたってビジネスを考えたり、進めていったりする精神や行動をグローバリズムと呼んでいるところです。

でも、ビジネスでもそれは同じなのですが、 そこには時として大きく考えるあまり地域の切実な問題に目が向けられないという欠点を指摘されたりもしています。

地球規模の平和問題とか環境問題とかも、その解決無しには未来の子供たちを守れないほどの大事な問題であることは今や間違いないことですし、大前研一氏のよく語られているように今では東欧の一事件さへ世界の経済の動きや新しい動向と結びついていたりして、ほんとうに大きな視野で総合的にビジネスも思索されるべき時代である点には間違いありません。

しかしながら、

ここが大事な点なのですが、
必ずしも実際にはそのように「大きく大きく」考えることが、その「大きな問題」を解決する道筋においても、けっこう穴だらけの思索や行動になりがちだったり、気負いすぎで空回りするだけだったり、かえって理想のお題目だけとなってしまったりもして、その大切な問題の解決の糸筋を自ら摘み取ってしまう愚をおかしがちなんです。

今日はちょっと難しい書き方となってしまったかもしれませんね。

でもこれは、一昨日の「事の端」を忘れた思索や論議になりがちだ、というふうに、あるいは昨日の目の前の「一つ一つ」の当たり前の事が大事だという視点を一気に飛び越えてしまいがちだ という観点から考えると なるほどと納得できるところであるはずです。

総合的は大地に根を張った「哲学」の上に始めて真のグローバリズムがあるということを忘れてはならないんです。

地域、職場、家族。これをまず大切にということで、最近は、グローバリズムに対してそれを地域主義の社会運動として思索し、行動し、展開していってる方々も大勢おられるのですが、

この「ちょいシャレビジネス哲学会」の見解は さらなる派閥主義です。

「自己を守り、自己のビジネスを守る。」そこまで現実的に考えてこそ、総合的な真の地域主義もグローバリズムも穴無く実現できる道筋がやがて見えてくるという考え方です。

一見利己主義に見えるかもしれません。

でも、そこから目をそらしたら、すべてが矛盾してきます。

個人という一番最初の思索の単位を忘れたらおかしなことになります。

個人の中の欲望の世界、その真の昇華の世界、その上でのほんものの優しさの世界、本物と言えるこころのゆとりの世界、そこから生まれる真に人間的な芸術の世界、ここに根ざす哲学が必要なのです。

個人のほんとうの幸せという視点がなくて なんでグローバルなのですか?
なんで、本気の平和主義であり、環境問題を未来の子供たちのためになんとかしようという絶対的決意と成しえるのですか?

あたりまえの 私たちの心の問題から、その根っこからこそ、これからのグローリズムの真のあり方が見えてくると思っています。

この「言葉」というテーマから、その点について言われていることをすこし突っ込んでおけば、

最初は、個人の体から、そのお腹の生活の中での神経と筋肉の連動からそれがフイゴとなり笑いの呼吸を伴えば、そこからは「ハヒフヘホ」(清音。母音はアイウエヲです。)という笑う時もっとも出しやすい発音の、まさに世界共通グローバルそのものの笑いの発生が生じたりして、すべては、個人から物理的枠組みもともなって生まれるわけですが、

これが一番最初には、お母さんの笑顔に触れたりして、家族との出会いの中で言葉が育ち、 そうしてその出会いの輪がやがて地域のそれぞれのなつかしいあの方言の世界を生み出してゆきます。

(「方言」の問題は、もちろんこのカテゴリーで取り上げる予定でしたが、詳しくは、後々に書くことになってしまいましたので、ここに凝縮させていただいております。)

グローバリズム、たしかにそれも大事ですが、この根っことしての地域の大切さ、ふるさとを生み生活の根っこを生み、連綿として家族の流れをそこに宿してもきた「「方言」」をもつ、その大地を地域主義をも忘れてはならないというふうに語られているところです。

そこをなんです。

いま一歩 今一歩なんです。

今の一つ つっこんで深く探索してゆく旅路が「哲学」の道だということなんです。

その本質 その根っこを、個人の心の奥、魂の奥にまで深く探ってゆく旅路、それがこの「ちょいシャレ哲学会」の一大冒険旅行なのであり、

今日も、最後は、愉快な旅の休息のタイムとしておきましょう。


二律背反という深遠な哲学があります。 真な真逆は最も通じ合ってるというふうに理解してみるとおもしろいところです。

グローバリズムの真逆こそ 派閥主義です。

いや、ほんとうは、ほんとうに最高のベストグローバリズムの真逆は、ほんとうのベストな派閥主義に最も通じ合っているということです。

では、そのグローバリズムと最も通じ合ってる(笑理の宴)の笑いの言葉pパズルは、



あ 派派派派派派派派派派、、、、派っははっは、(ごめんなさい(笑))



((編集後記))

実は 26日、27日、28日の「編集後記」は、29日の夜に書いています。

時間の都合でぎりぎり書けなかったためですが、このブログの性格上、後からでも編集して書いておいたほうがベターだと判断しました。

理由は27日の「編集後記」に記載しておきました。

26日は私の誕生日の筆となっています。編集後記に興味のあるかたは読んでおいてください。 ある予告編が出ています。

きょうは、これだけにしておきます。

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2007-09-27

ちょいシャレビ哲 第24回【言葉】(笑理の宴)10

【言葉って何だろう?】

(笑理の宴)10

ちょっと整理しておきましょう。(いままでのこのブログの流れです。)

このブログは全体では始まってから24回目、でもその内の「始まりに際して」というこのブログの紹介の部が長かった(笑)ので、

実際に始まったのが、この(笑理の宴)からだったわけで、それがきょうで10回目となったわけです。

「言葉ってなんだろう」というカテゴリーの中の最初のサブ・テーマ、副テーマとして「笑いと言葉」を主題として、この(笑理の宴)という実際の本文が始まったわけです。

そして、 
ほんとうは予定ではこの(笑理の宴)は、きょうあたりで終了して次のテーマにてさらに「言葉ってなんだろう?」という事の探求の旅を突き進んでゆくよていだったのです。  が

が、その予定が変更となり、このカテゴリーである「言葉ってなんだろう」という大テーマ自体を中断しなければならなくなったため(第24回のブレイクタイムという文にてくわしくその理由を書いています。)、

そこでその代わりにこの(笑理の宴)に、これからこの第テーマで扱おうとしていた内容を紹介かたがた、ある程度組み込んでみようとしている

というのが今までのこのブログの流れとなります。



 では、今日の分です。

今日は「スリハンドク」という名前の、むかしのインドのお坊さんのお話です。

スリ・ハンドクと分けてよむと憶えやすいでしょう。

遠い地の高僧までも、彼をしたって教えを請いにやって来たというとても偉いお坊さんのお話なんです。


ところが、スリハンドクという人は、もともとは、ブキッチョで頭の回転も悪く物覚えもだれよりも遅く、周り中のみんなから馬鹿にされいじめられていた人だったのだそうです。

でも馬鹿ではあっても、動物や白痴のような人と違ってそういう自分を見つめる目(サルから人間に進化した時に一番大きく変化したのがその「自分をみつめる目」なのですが、だからこそ物事を見つめ人間は反省し進歩するというよすがを手に入れることができたのですが)はありましたので、

みんなから馬鹿にされるのがくやしくて悲しくて情けなくてしかたありません。

そこで、たった一人スリハンドクにも優しく微笑んでくれえる一番偉い館長様にその胸のうちを切々と語って「どうしたらいいのですか?」と相談したのだそうです。

するとそのお寺で一番偉いお坊さんの館長は、スリハンドクにこう言いました。
「人の言うことなんて、どうでもいいんですよ。それより、自分の出来ることを一つ一つ一生懸命やりなさい。 そうすればそのうちに自分のやるべきことが見えてきます。そうしたらそれが仏様の道です。解かる人はそれが解かりますから、そうなれたらきっと馬鹿にされるどころかあなたを尊敬してくれる人も大勢できますよ。 友だちも増えるでしょし、すっかり楽しくなれますよ。 そんなに落ち込んでいないで、もっと笑顔で笑うようにしながら、出来ることだけをいっしょうけんめいやっていけばいいんですよ。
そうだ  スリハンドクよ、おまえは、そうじがすきだったな。 それなら毎日、毎日、これから人の十倍も二十倍も好きな掃除をやってごらん。」


ま 詳しくはほんとは知らないのですが、ともかくこのようなことをやさしく丁寧にその館長はスリハンドクにさとしたのだそうです。

いままで落ち込んで、いじけて、暗くうつむいて生きていたスリハンドクが、その優しい言葉にはげまされ、それからは馬鹿みたいに明るく胸をはって、馬鹿みたいに掃除ばかりするよになったのはいうまでもありません。

毎日毎日 うきうきなんか知らない「希望」に燃えて、掃除につぐ掃除をしまくったのです。

もちろん、友だちもすこしづつ増えてゆきました。 それでその友だちの家まで掃除するようになりました。

坊さん仲間だけでなく、そのお寺のある地域の農村にも、魚屋にも顔をだしては穀物倉の整理とか、お店の掃除とかも手伝ったりしました。

そううちに、でもその馬鹿なスリハンドクが、変わり始めたのです。

なぜか、悩んでる友の相談にのるように自然になっていったのだというのです。

むかし馬鹿にしていた友までも昔のことをすっかり忘れて自分の悩みをこっそりとスリハンドクにだけは打ち明けるようになったのだというのです。

いったい何がこのスリハンドクの中に起こったというのでしょう。

ただ 掃除ばかりしていただけだというのにです。

ほんとうは、哲学のブログですからこの辺はもっと詳しく分析したいのですが、時間の都合上からも さすがに紙面の都合上からもそれは、これから書いていくこの「ちょいシャレビジネス哲学会」におまかせして(笑)、

その変化の理由をここに一言で書くなら  それが昨日書きましたとことの
「言の葉」の根元である大地がそのスリハンドクの変化の最大の理由だったということです。

「事の端」これは単なる言葉あそびのパスルではなく昔から「言の葉」と「事の端」は、いきいきと連動した言葉として思索もされてきた言葉です。

まさにスリハンドクは、掃除をとおして、その「事の端」の人生勉強を知らずのうちに、人の十倍も二十倍も体験し経験し、やがて物事をそして「言葉」をも、人より十倍も二十倍も深く整理して(掃除し、整理整頓して)理解できる人となっていたということなのです。


 きょうのおはなしは、ここまでです。

 これもほんとに大切な笑いの一つですね。

 あ 端端端端端端端端端っはははは端端端端葉葉葉。


          あしたもお楽しみに


((編集後記))

ちょと変ですが、この編集後記は、三日後の29日に書いています。

昨日から(26日からということなのですが)時間の都合でぎりぎりこの編集後記が3日間間に合わなかったためです。

26日、27日、28日の3日間です。

昨日(26日)も書きましたが、このブログの性格上、そのほうがベターだと判断したためです。

このブログは、一回一回読みきりの形としても読めますが、同時に続き物として各カテゴリー、各サブ・カテゴリーごとにも後から好きなところを読み返したりもできるように書いています。

ほんらいなら、そのサブ・カテゴリーもトップに表示できるといいのですが、さらには毎日の文にも「タイトル」をつけてそれも表示できればそのへんベスト編集となるのですが、  なにぶんにもネット技術音痴ですので、今のところはお手上げ状態です。

あとからでもこの編集後記のように編集しなおせるので、いつかネット技術の腕をあげたら、またそのへん有能な協力者の協力を得られたなら、もっと詳しくカテゴリー分けをさせていただき、ほんとうに後からでも好きなところをいつでも読めるようにしてゆきたいと思います。

きょうは、このことのみ、編集後期にて記しておかせていただきました。

では、明日の、いえ27日のブログもお楽しみに、いえ、

まだ読まれて無い方とかは、楽しくよんでみてください。(うーむ(笑))




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2007-09-26

ちょいシャレビ哲 第23回【言葉】(笑理の宴)9

【言葉って何だろう?】

(笑理の宴)9

昨日は「言の葉」について語らせていただきました。

生活の大地の「事の端(これについては、あした詳しく触れたいとおもってます。)」から出発して「言の葉の木」の種を時には泥沼の中にさへ宿し、それが成長し、やがてあらゆる豊かさをもった木の葉として繁り行く、
それが人間文化としての「言の葉」の姿であり、それがいぶし銀の輝きに成熟した時にか「言の葉」は最後の「言の葉の舞」舞いつつふたたび大地のこやしとなりゆく。

という「言の葉」の舞、あるいは「言の葉循環」のお話をさせていただきました。

 その中で、この「笑い」というテーマはどのようにその「木」の生命の中を流れているのかということにも、その「笑い」の本質を全体的に捉える観点から書かせていただいています。

最後のもっともさわやかで人間的な「葉」の笑いという、有意義な言葉パズルで(笑)、 昨日は幕をとじさせていただきました。

 葉葉葉    葉葉葉葉葉葉。  (笑いのカテゴリーですので)


きょうは、もっと深く笑いの全体像に迫るもっと真剣な切実で深刻でさへあるきわめて哲学的なお話をしたいと思います。(あ  逃げないでください。きょうも最後には笑えますよ。 でも内容を読まないでは「葉葉葉」と同じで、最後だけ見ても少しも解からないで笑。)

「抽象性と具体性について」という題です。

その中の「抽象的表現と具体的表現」について特にしぼって書くこととなります。

もちろん、最大に解かりやすいたとえ話でですので聞いてください。


よく抽象的表現は 雲の上の高みから大地を見渡してその様子を表現した表現に例えられます。

おおきく広大な視点から世の中を見渡した言葉や文章の数々が こうした「抽象的表現」の範疇(範囲と同じ意味ですが言葉や概念(考え)の中の範囲と考えてください。 けっきょく「範囲」でもここでは通じるのですが、よく使われる言葉ですからあえて絞った言葉として憶えておいてもらおうと思いました。)なのですが、

これは、その視点が高い場所であるがゆえ、ひろく見渡せる場所であるがゆえに、実は巨大な欠点を持ち合わせていたりもします。

つまり、雲や霧がかかっていて本当には何も見えていないのに言葉だけが「おおきくわかったつもり」になって飛び交っているということさへよくある世界だ ということなのです。

 そうでなくても、高いところですから、具体的な生活、われわれの踏みしめている大地は、小さくうすぼけて見えていたりするものです。

ですが、もちろん 日常の忙しい世界のみにこころを奪われていて見えない
大きな視点からの力強い表現として充分成熟した抽象的「言の葉」の世界もあります。

 心に思索に曇りなく、晴れ渡った大空から

これが、われわれのこれからのおおきな道筋だ と言えるものを把握したりそれをしっかりと表現したりする時には、この抽象的表現は我々におそらくもっとも確実な未来への見通しや希望を与えてくれるものともなったりします。

一方、具体的表現の世界は、現実の一歩一歩の歩みを細かく描写し、大地に根をはった生き様を我々に示してくれるものとして語られていたりもします。

たしかにとても 焦点のしっかり絞られた表現の世界でありえるのです。

空から大きく高感度カメラで自在に鳥のように角度を変え視点を変えさらに焦点も豊かな高度な鳥瞰能力をすべて我々が持ちえているならば、そこには抽象性も具体性も一体化した新しい思索と表現のこころの大地が現れるでしょう。

しかしながら、われわれの生活の大地は、生物としても知性を持った人間としても五感や欲望にも縛られそのうえで、だからこそ切々とお互いの心と心が通じ合えたりもする中、時として対立や争いまで渦巻く 空から眺めてるだけでは解からない痛みの深みや喜びの平安の深みもさまざまにてんかいしている大地です。

ここに「哲学」が必要となってくるんです。

ここに「鳥瞰図」というグーグルの地図だけでは見いない心の中にまで焦点をあてた超高性能高感度カメラにあたる「哲学的鳥瞰図」の創作の模索の必要性が生まれます。(「鳥瞰図」に関してはすでにしばしば触れていますが、それは私一人で完成してゆくものではありません。)

戦争の深い因に、その他多くの大きな争いの因に、その中でも特に宗教どおしの争いの因に、  このあってはならないおおきな庶民の犠牲をともなう失敗の世界の因に、 この世でもっとも切実な問題のその因に、

実は 抽象的な表現の世界がへたにまかり通っているからだ というとても単純な事実があります。

 もう 二度とあってはならないという世界を私は子供時代に いろいろその体験者の方々から聞く機会があったりしました。 そのへんはまた そのカテゴリーの時に述べさせていただきましょう。


  でも ならば、その逆に希望があるということです。

 すこしでも抽象性と具体性をしっかりもった表現の世界を開拓してゆきましょう。

 その二つをよりしっかり把握すること それが「希望」につながり、われわれがここにめざす笑理の宴に通じるのです。

 時間が無いのでまとめます。


    把把把把把   葉葉  把把把把把把把把把把把把。

 

     きょうは ここまでです。

                あしたもお楽しみに。

 

((編集後記))

実は、この編集後記は29日に書いています。
時間の都合で ちょうどこれを書く時間をのがしてしまって、それが三日つづいてしまったからです。

あとから書くのなんて変ですが、 その日にあわせた形で、形は整えておくのが、このブログの編集としてはベターだと判断し、書いてみています。


 じつは、この9月の26日は私の誕生日で、60歳になった日であったのです。へ へんな書き方ですが(笑)。


秋中の名月もこの日あたりでしたが、 この前後に私は車の中でとても印象的な満月の月を見ています。やっぱり変ですが(笑)。

ともかくそれは、ウサギがもちをついてる感じの影の映ったとても日本的な月でした。

60歳、そろそろ私にもツキがついてきたので笑か?

それは半分冗談ですが、

しばし後、この編集後記でツキ特集をやりましょうか。

ほんの簡単にですが、ツキとか運命とか確率の考え方とかのお話をしてみようと思っています。 29日後のこととなりますが。 (やっぱ変でした。)

        では、60歳二日目の明日のブログもおたのし?・

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2007-09-25

ちょいシャレビ哲 第22回【言葉】(笑理の宴)8

【言葉ってなんだろう?】

☆きょうも 最後にお知らせがあります。 (Q&Aの部の続きです。)

(笑理の宴)8

昨日の「特殊ブレイクタイム」で書きましたように、 
このブログは しばらく後に大幅にリニューアルします。

(一回の量の多さという、ブログという読み物における物理的な不親切さを解消する手段の一つとしての、 (簡単に量を減らせない理由は昨日書いています。)  まずアクセスを集めるという方向を時間的に優先しようという戦略です。

 量が多くても 読みやすいような機能を物理的に作ってゆくには、私の欠陥であるネット機械音痴の面を補ってくれるチームメイトを求めてゆくというのが一番早い方法なのですが、 そのためにも自分自身の今現在置かれている経済状況を脱しておく必要が優先されたりするからです。)

 したがって、この(笑理の宴)内に、【言葉】のカテゴリーで書く予定だったものをも、ある程度組入れておいてリニューアルに向かうという形しますので、 そのへんどうかご了承ください。


 あしたかあさってには(笑理の宴)をまとめてしまう予定であったわけですが、 あと一週間ぐらいはこのサブ・タイトルのままになると思います。


 

    では、 きょうの文です。

よく「言の葉」という表現で言葉の説明がなされたりします。

 それは 「事」の「端」、「事の端」にもなぞらえて語られもします。

 
 きょうは、まず「笑い」は離れて、(すこしだけですが(笑))

その「言の葉」について、簡単なたとえ話でその本質を追いかけてみようとおもいます。

 生活の真っ只中から 人間は その頭脳で言葉を生み出してきました。

想像力や創造力を通してです。 (その詳しいよすがは、これからそれぞれのカテゴリーの追及の過程で追いかけてゆきましょう。 ここでは その歴史的な考察とか 進化論との関わりとかは略します。)

そこには 人間と人間の、獲得した言葉を使っての交流もあったわけですが、 それは時として争いをも生み、 泥沼の人間模様も その生活の只中に生み出し続けてもきました。

だからこそ 切々とした心の通い合いもあったとは言え、その交流のよすがはまだまだ理想にはほど遠い現実であるわけです。


 しかしながら、 「言の葉」に「言葉」をなぞらえて、それを言葉という木に例えるならば、言葉というものをこのような文化として例えることも出来ます。

 生活の泥や土 きれいもきたないもひっくるめてその大地の上に「事の端」は人の脳に捉えられ、それは「言の葉」としても脳の中で創作されて
やがてその大地に「言の葉」に向かう言葉の組み合わせ文章の種がまかれるというふうに例えることもできるんです。

 人間という不思議な生物のその頭脳の中にです。  そうしてその種は、そこで思索され哲学され磨かれ、 やがて「言の葉」というにふさわしい
緑の葉を茂らせます。  人間文化の華こそ その「言の葉」だと 私はここに例えておきたいんです。


  その「言の葉」にまで昇華された言葉こそが、そこにさまざまな生きた文化の華ともなり 葉とともに風も吹く大地に舞いを舞い そうしてそれは再び 人間の大地 泥沼もありしっかり踏みしめられる土もある生活の大地にふたたびこやしとなり続ける。

 それが ここでの「言葉の木」の例え話なんです。


また、これこそが、哲学の木でもあるところ、たゆまないこの言の葉循環とも言える人間の良心の営みは、 それがまた果てることの無いこのブログの試みの根でもあるとも言えましょう。

では
  この「言の葉循環」また「言の葉の木」にて、笑いとは どのような言の葉と関わっていると言えるでしょうか?

 その笑いは、葉に通じるすべてにおいて、存在します。

サルとかの高等生物にも無い 豊かな言の葉の文化をもった我々人間の中に存在している笑いは、 この「木」の葉につうじるすべてが、さいごに「葉」と成長して人間の文化、人間の人間らしいコミュニケーションの場にその「ことの葉の舞い」のひとつとして舞うべく 大地にねざし、太陽の滋養をあび、幹をのばし枝をはり、すべてが、その脈動として脈打っているんです。

 笑いはそうした生き物とわたしは考えています。

 しかし、一部の笑いは 泥沼の中に生まれその人間的な命を宿すことなくそのまま泥沼の中にうもれ、やがて腐り果ててしまいます。

 人をチクル笑いの世界です。 悪意の笑いの世界です。 人のこころをいじめ指しまくる笑いの世界です。 自分自身のこころまでじつはちくちく刺しているそういう種の笑いのことです。  それは 動物の世界が争いと命等の自己保存にまったくゆとりない状態であるために おそらくどんな平穏な場にても笑うゆとりを持てないで生きているそのような知性であるのに似て、 それが争いを生む非知性的なゆとりをこころに持たない人達の笑いの世界なんです。   「ははは」とは笑うでしょう。「 あっはははは」と大笑いもするでしょう。  でも それは  

 でもそれは、 悲しいことに「事の端」の一部のたしかに人間の笑いのひとつではあるでしょうが「言の葉」の笑い 人間文化の笑いには通じた命の笑いではないんです。


 このブログでは、 つねに こんな笑いをめざしています。

 あっ葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉    葉葉。


         きょうは 以上です。

     
                  哲歌隊長浩 こと中村浩より


((編集後記))


 いつもより以上に長くなってしまいましたが、 その理由は 昨日の文を読まれておられる方にはご理解いただけてると思います。

 しばし【言葉】のカテゴリーをある程度 ここに凝縮するために長くなってしまうと思います。 ご了承ください。



 なお、きょうのお知らせとしてですが、

Q&Aサイトでの お笑い遊び的なアンケート質問は 最初の日に5件の回答が来たまま 回答はパッタリ止まっています。


 これはタイトルが お遊びすぎだったこととか(ネットの場合はこうしたオドケが馬鹿にしてるととられてしまいがち。) 軽い回答でしたので補足文でのコメントでこちらも突っ込んでお互いの内容を盛り上げてゆくことが出来なかった(私のほうからのコメントは短いお礼のみとなってしまった。)といった 原因が考えられます。

 どんどん、タイトルの表示される場所が 奥へ奥へと流れていくシステムでもあるため、 最初にうまく盛り上がらないと それは長く続けられません。 そのへんの仕掛けがうまくできませんでした。



 そく似たテーマをべつな言葉でしかけましたのでお知らせします。

タイト自体は

【笑う時の発音と言葉について、「だははは」の「だ」?とか。】

という気軽なタイトルですが、 そのタイトル説明とアンケート内容にすこしだけ 重みを加えてみたのです。


 今のところ 3件ですが、 前回とはまた異なった回答をする方々に触れる形となっています。

 きょうのきょうでまだ確かめていませんが、

検索では「笑う時の発音と言葉」までは入れる必要があるかもしれません。


 時間の都合で、コメントはまだしていませんが、 それぞれ補足のコメントもつけられそうで、 じつはちょっとしたある文章上の失敗に対する批判のみの回答(ほんとは禁止)もまじってますが、 ポイントをついたきちっとした文ですので それも含め こちらもきちっとしてコメントができそうです。


     よろしければ、また覗いてみてください。

このように しばし「笑い」に関するアンケート質問を矢継ぎ早に仕掛けてゆく予定ですので、 お楽しみに。


       では、 きょうは以上です。

 

 




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2007-09-24

ちょいシャレビ哲 第21回 ブレイクタイム

▼△▼△▼ ブレイクタイム ▽▲▽▲▽

きょうは
【言葉ってなんだろう?】というカテゴリーからも離れた

特別ブレイクタイムです。

 

でも、休憩コーナーというのではありません。


このブログを始めてみて、最初から気にかかっていたことですが、

中身の筆はできるだけ読者にフレンドリーにということ、できるだけすべてをわかりやすく楽しくともこころがけて書いてきたつもりのところ、

一日の書く分量が 読む側の方にとってけしてフレンドリーな量になっていない という事について、 今現在朝の4時、寝ないで考えたことをここに
書かせていただくことにしたのです。


おそらく このままづづけていけば、前代未聞の量と質を誇るブログがここに出来上がってゆくでしょう。

 それどころか、「始まりに際して」という最初のカテゴリーにても触れましたように、広大な世界中の知識の検索機能を可能にしつつあるグーグルの知の検索機能の只中に、

有益な知恵を中心とした生きた情報のみを集められるような 次世代のよりよい社会にむけたポータルサイト内有効ポータルサイト構築のためのきっかけ作り、あるいは基礎の構築をこのブログでやろうとしているのですから、

ブログという毎日書く機能を活用して、これだけの量をその形式でそこに収めてゆこうという これはとてつもない大きなプロジェクトの事始でもあるわけです。

 そんなことが 一個人から出発可能なのは、 ちょうど昨日書きましたところの人生全体、その哲学全体を眺めることの出来る鳥瞰図を自分の頭と紙の上に私が獲得してきたからであり、

かつ、 こうして始めてゆけば、やがて他の人もその鳥瞰図を理解できるようになる(単なるマインド・マップのようなわりと短時間に理解できる性格のものではないですが、 特別な頭脳が必要というわけではなく 手順と時間をかければ、多くの人がそれを手に入れることが可能です。)でしょうから、 こうしてその時点からは、一人でなく多くの協力者たちのチームプレイで発展させていくことが出来るからです。

 やがて解かっていただける時がくるでしょうが、別に大きなことをしたいわけえはなくただ自分にできる正しいことをしたいだけなのに、それを追い続けたわたしの人生が必然的にそこに結びついた その巨大なプロジェクトはまさに わたし自身にさへ想像を絶するような大きな社会正義活動へと成長してゆくはずです。


 しかし、その分量の文の量から割り出しても、自分の書くべき分の文の量だけで、

 毎日 重複のない異なるものを、これだけの量書き続けても、 ほんとうは一日分が足りないと思えるほどなんです。


 もちろんブログの機能は 毎日書く形式となってはいても(時間的にその形式で人の目に触れる形となっていても) それだけがブログの機能ではなくHPの機能の可能性を宿している
後から、カテゴリー機能をよりわかりやすいデザインにも編集しなおすこともできる それ自体 大きな新しい日記ではない質を花開かせる可能性を宿していることは、  ネット機械音痴のわたしにも理解できるところです。

 だから ブログしか出来ない時点からも、 意思決定のスピードを経営のその理に習って、 思いっきりバっと出発したわけですが、

上記、はじめに触れましたように、 ブログの読む側の機能から考えれば、
最初に読まれる可能性のある読者の方がたは そんなプロジェクトのすごい価値など知るよしもないはずの まさに いいものなら毎日読みたい、あるいは「毎日でも なおかつ面白ければ読んでもいいよ」 という商売でいうお客さんみたいなものです。

どうかんがえても、 この毎日の長さは、そのような最初の段階の「お客さま」にとってのフレンドリーさに欠けています。


 こうなると ここには べつの問題も浮かび上がってきます。

これだけの質をほんとに実現できると読者が理解し始めるならば、 例えば初期のまぐまぐ等でのメルマがであるなら、 他に宣伝無しにも3ヶ月をめどに すこしづつ読者が増え始め そこからはその質が勝負となってその質に応じてアクセス加速度がついてゆく という概算が可能だったところ、

 今では、どんな三ツ星レストランをも越える味の店さへも、 「その中身の文だけでの宣伝」では、 銀座の一等地どころか

 うっそうとした茂みの巨大な山の森の中に、店を開くようなところとなり
このまま誰にも知られずに うもれた屍と化してしまう可能性すらあるところです。

フレンドリーさに欠ければ、 セールスレターもその核を欠くものとなり集客もままならないのと 同じです。

 単なる ほんの毎日の文の分量の問題とはかたずけられない問題が、いざはじめてみて まずわたしの前にたちはだかった最大の壁となっていたのです。


 すみません、   ですので、  

この(笑理の宴)の後は、【言葉】のカテゴリーは大幅に略しておいて、

いきなり 人気取りのためのスピード集客に集中したカテゴリー(まだ秘密ですが)に変えてしまうという方法をとらせていただきます。


 しばらくの間 まったく別のブログのように思えてしまうだろうと思います。 「ちょいシャレビジネス哲学会」の名前は変えないのは当然ですが、
中身がまるでべつな方向を向いているような走り方を しばし続けることとなります。

 昨日かきました ロナウジーニョの変則フェイント・プレーのようなものです。


 すでに ここにサイレント・マジョリティー(静かなる熟読者、ほんとに書いてることが信頼できるものかどうかを じっくり見守っている読者でもあり、簡単にコメントはしない代わりに、 ほんとうになるほどと理解できたときには  熟読したぶん、その人にできる できるだけの協力とか口コミをおしまないと言われてる読者層のことです。)のかたが たまたまおられるなら  

という あてずっぽうの可能性からですが、

 きょうは、 いままでの流れとはまった別に、そのかたがただけに向けて、感謝をこめた   

 次のこのブログの大変革のお知らせと そこへいたった私の中の迷い悩みもがきを正直にすべて告白させていただきました。


  お笑いが主題となっていては、 一気に内容の深いものにはなかなかならないところ、物足りなさを感じておられた読者がおられたならば、 きょうの筆は、むしろ、すくなくともこの量のものを書き続ける者の気迫を理解され、 腑に落ちるところもあったのではないでしょうか?


     それでは、 まだしばらくは、いつものとおりの【言葉ってなんだろう?】というテーマのカテゴリーをつづけますので、

 今のうちかもしれません  ごゆっくりお楽しみください。

きょうは 以上です。


             よろしくお願いしますね。


                 哲歌隊長浩  こと 中村浩



 

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2007-09-23

ちょいシャレビ哲 第20回【言葉】(笑理の宴)7つづき

 
【言葉ってなんだろう?】

(笑理の宴)

 
     すみません。

 きょうのブログは 二つになってしまいます。


 今朝途中で、途切れた形になってしまったのですが、それがそのまま表示されたまま「修正」をかけようとしても、私にはできなくなってしまったのです。 なぜだか解かりません。

 4回やりなおしています。けっきょく、ここに続きを書くことで これは五回目の試行錯誤となります。

 ネット音痴の老人が始めたことからの苦労話のネタのひとつになりそうなことですね。


 ま こんなことでヘコタレてませんからご安心ください。


  ともかく ここから きょうの分をつづけます。

□□□□□□

 サッカー選手ロナウジーニョのお話からでしたね。

サッカーの観戦で面白いことの一つは、走りながら闘いながらまるで上からも鳥のように眺めているかのように、サッカー選手たちが相手の位置を目で見ないうちにも確認してパスを出している点、あるいはそこに誤りがあってもそうしようと努力している点です。

 すこし詳しく実例を描写すると あのロナウジーニョとロナウドの絶妙のパスで前全日本代表がブラジルに敗れるきっかけとなったゴールに そのすべてがあるようです。

 最初のパス、ロナウジーニョのパスですが、たしかパスの相手を見ていませんよね。  そしてそれを受けたロナウドもまるで知らんぷりをしているかのようでした。 それでいて的確にロナウドの頭部のほうへボールが飛んできて近くに来たら突然 ロナウドがとびあがりざま ヘッドでゴールを決めていたんですよね。


 ボールは、まるでトンチンカンな方向に飛んでいっているように見えましたが、けっきょく、ロナウジーニョとロナウドは的確に相手の位置を把握していてそこにボールをパスできたから それまでじっと忍んできた日本代表のこころまでくじいてしまうほどの絶妙のゴールを決めることが出来たんです。

 これこそ その場その場で、のっぴきならない状況に追い込まれながらも
意思決定をし続ける一流スポーツマンの その思考構造が
 
 きょう最初のブログに書きました「鳥瞰図」を 自然にも活用している姿の証明です。

 そのためには、訓練に訓練を重ねた「身体バランス」が必要だったりするでしょう。


 ((すみません、読者の方々には関係ないことでしょうが、同じ似た文章を即興で何度も書き直してると なんとも疲れるものですね。 とくにきょうは、他のとても神経を使う用事も重なっていて、   場面も違ったせいか 話が予定してない方向に膨らんでいってしまったようです。  このままにしておきますが、  ここで話をもどします。))

 ロナウジーニョの「身体バランス」も、ボールさばきも まさに芸術的なのですが、

 きょう書くはずのことは、 ゴールの瞬間や その後の選手たちの喜びの宴の あのサッカーならではの 素直な仕草や表情についてなのです。

 とくに ロナウジーニョの その勝利の宴は まさに芸術的です。
その自然に出てくる踊りも なにか人生の宴 笑理の宴を思わせる重みがありまさに詩的(すてき)ですね。


 そ それが書きたかったのです。

 経営でも 成果や勝利の節目節目で そういうお祝いが大切なことは言うまでもありませんが、そのお祝いの美酒の席をほんとうに盛り上げるのは もちろんすなおに物事や勝利をお祝いできる人生哲学だと私は思うんです。

 サッカーを観戦するときは、 一流選手のそんな姿も勉強になりそうですね。

  なお、 きょうは「編集後記」にて

お約束、
お待ちかねの、 このブログにての

日本最大のQ&Aのサイト「OKウェーブ」の活用、の事始。

その初回を始めますが、


 実は、その「OKウェーブ」の最近の特集の中に 前全日本代表の監督でもあれれたジーコ監督に質問できる特集があり、 私も参加しているんです。

 「身体バランスについて」というタイトルと そのタイトル説明で構成された質問なんですが、

 それにたいして、ジーコ監督は、まさに的確なシンプル・イズ・べストという真実を想わせる回答をくださっています。

 是非 その質疑の様子を検索してご覧になってください。


 今ですと、ヤフーでも「身体バランスについて  ジーコ監督」と検索に入力すると一番目にその記事が表示されますので、

 OKウェーブ入会以前にも、その検索は可能ですが、入会手続きは簡単ですしもちろん無料ですし、 是非この機会に入会なさってください。

 楽しいですよ。

        きょうのぶんは 以上です。

  
((編集後記))

きょうも 苦労をだいぶ楽しませていただきました(笑)。

さて、 ながらくお待ちかねの(前カテゴリーにてお約束してましたので)

Q&Aの活用がいよいよ このブログにて始まります。


 最初は ただの紹介のような形の仕掛けですが、そのうちに 少しづつ高度な仕掛けを作ってゆきますので楽しみにしていてくださいね。


 みなさんも何か悩みとか知りたいこととか困ってることとか解からないこととかが あったら、  全国の大勢の人が回答を寄せてくれるサイトですから 是非参加してみてください。

 専門家からの回答がある場合もあれば、専門家ではないけれども、その道に詳しい人とか、体験の深い人とか、あるいは同じ悩みや問題を抱えて同時リアルタイムに迷ってる人からのはげましだったり、それを乗り越えて解決してきた人の実際のお話だったり、  なかにはいいかげんな回答とかもあったりしますが、それもまた一興だったりもして、なかなか楽しいし役に立つし便利だし、 そして勉強にもなるサイトですよ。

そこに 私は今回


「ははは」「ひひひ」とかの「ハヒフヘホ」以外の笑いを現す言葉について


というタイトルとそのタイトル説明のついた質問を アンケート・カテゴリーから出しています。

 この(笑理の宴)の遊び編、ブレイクタイム編と思ってお気軽に検索してみてください。


 これはヤフーとかでは試してないですが、ヤフーからの検索では、さすが理屈から考えると無理があるようです。


 是非 簡単な手続きですのでOKウェーブには入会されて(もちろん無料です。) 是非そこで検索してみてください。

 最初の「ははは」だけでも「 」が付いていれば一番最初に表示されますので 冗談でなく ほんとに「ははは」で検索してください。

「ははは」「ひひひ」まで入れれば、 私のアンケート質問だけが出てきます。 ためしにやってみるのも楽しいかもしれませんねl


  回答は その日のうちに5件も来ています。
すでに、私のお礼のコメントも含めて おもろくなってますので

 是非あそびに来てください。

まじめに言って、 そんなところからでも 本気に言葉の探求が好きになって欲しいんです。

  言葉の冒険旅行の まだ始まりです。

 笑いの世界から いよいよ言葉の世界の旅路に出発してゆきましょう。

        また、

 そのサイトでは 自己のブログの紹介とかは一応前面禁止です(アンサリストというそのへんが自由な仕組みもありますので 先にはそれも活用してゆくビジョンなのですが)。 

今は   みなさんも 自由に 私のアンケートで遊んでいって欲しいですが、 そのへんはよく事を理解されて、

 けして「ちょいシャレビジネス哲学会」のことは触れないようにお願いします。

  ひそやかに そっと 楽しみましょう。

 なお、そのへん たとえば「FC2でこのQ&Aを知りました」とかの暗号でそれとなく「友」であることをほのめかす楽しみは 自由(笑)です。

いろいろ 工夫(笑)してみてくださいね。

   

     では、  また あしたのこのブログをお楽しみに♪



 

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2007-09-23

ちょいシャレビ哲 第20回 【言葉】(笑理の宴)7

【言葉って何だろう?】

☆きょうは 編集後記で大事なお知らせがあります。


(笑理の宴)7

言葉を 活用するのにもっとも役立つ方法は何でしょう?



 

それは


 サッ

   サッ

   
 サ   ササ

                 サッカーですす。


だいぶ、どもってしまいましたが(笑)、まじなお話でもあるんです。


詳しいその論理は、この【言葉】のカテゴリーの中でも、「言葉と学習」というテーマのザブ・カテゴリーをあつかうコーナーで書いてゆきますし、 サッカー観戦の有効活用についてはべつな【スポーツ】を扱うカテゴリーの時に その哲学的な考察を(笑)書いていきます。

ま いっぺんにお話できるようなかんたんな論理ではないので ど どもったりしてしまうんですが(笑)

言葉や それを使って頭の中の思索とかを整理するのに、ビジネスマンの多くのかたは、すでにマインド・マップという 言葉と図を使った整理の仕方を学んでおられる方も多いと思いますが、

それを発展させたような私の考えているある鳥瞰図(鳥が大地を見るように
高低 角度自在に生活空間のイメージの中に言葉を有効に並べることで、そこに人生の哲学をも人目で見渡せるように工夫したものです。)を使うと、

そこから サッカーのような上から個々の選手の意思決定のよすがを観戦しやすいスポーツのすばらしさや、その生かし方も解かってくるということなのですが、

ここでは「難しい言葉を操って、難しい本にしがみついて、それを人生に生かす道?だけが、活学ではなく生きた哲学でもない」ということを解かっていただければ と思って書いてます。


で、 きょうは さっそくロナウジ

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2007-09-22

ちょいシャレビ哲 第19回 【言葉】(笑理の宴)6

【言葉ってなんだろう?】

(笑理の宴)6

きょうは きのうの続きです。

起承転結について、この(笑理の宴)というサブ・テーマに添って書いてみたわけですが、

その目的は、あくまで文章がうまくなる法則とか好きになる方法とかにあります。

このブログ自体、

 読んでくださってる人にどれだけフレンドリーにわかりやすく書けてるかをいつも心がけて書いてはいるんです。
 またそれが セールスレターにしてもあてはまる文の「起」の要諦(肝心要な大事な点)だと思います。

 勝利に引っ掛けた言葉遊び(言葉バスル)ということで、同時に笑って出発しようと(笑理の宴)として出発したこのブログの本文ですが、

でも これはセールレターとしては、サブ・タイトル(サブ・キャッチ)の役目を果たしていない題となっています。

「ちょい」と「シャレ」たつもりで、そのへん「ちょいシャレビジネス哲学
会」のサブ・タイトルとしても気取りすぎという過ちをおかしているかもしれません。

 ただ それはそれで それで筆を「起こして」いるので、この題ではあと何日かつづくのですが、最後まで通すべきところなんです。 そこはよく読みとってみてください。(もうすぐクライマックスですよ)

 文章がうまくなるためには、 たくさんのいい文章を読むことも大切だといいますが。

 読むにしても書くにしてもたしかに「起承転結」というセオリーは意識しておきながら読んだり書いたりしてみることも、上達の秘訣でしょう。


 わたしが聞いた文章上達法と言えるものは、ほかの方法もやはり「起承転結」と同じように それがすべてというものではなくて、練習の時の心構えとか意識しておく基本とかと言えるものなのですが、

 それをきょうは ここに書かせていただきます。

1  いつ、どこで、だれが、なにを、どのように、 の5つ、これもニュース場面を文に生かしたりするときにすべてを意識して使うものですが、 これって文章脳を鍛えるときに、かなり重要な役割を果たします。

 実際には、そのすべてを使うのではなく、その文の目的のために部分ははしょったりするところでもあるのですが、 これも添削等で、ほんとにその部分は省略した方が効果的か検討するときに役立つものですし、 ならば、最初から頭にたたきこんでおいたほうがいい といった5要素です。


 2、なにはともあれ 楽しくというのが、特にネット文の要点とも言われています。

 楽しく書いてるのがたのしい文として現れ、読むほうも楽しく読めるというあたりまえのことですが、

 この楽しんで書くというゆとりが、文にゆとりを創るといいう点、これが大事なのだというのです。

 自分自身、反省しながら、書いてる点でもあるところ、
「笑う角には福来る」を意識しすぎてもいる気もします。 むずかしいですね。  あ  でも楽しいです(笑)


 3、とくにネット文の場合に注意する点として言われてることですが、一つの言いたいこと(テーマ)しか、一つの文にいれてはならない、というセオリーがあるようです。

 同じテーマでもたくさん言いたいことがあれば、ちょうどこの文がそうであるように、1、2、とかの番号をふって分けて書く必要があるということなのですが、

 これがネットの場合 とくに重要だというのです。

 哲学は 人生すべて、生きていることのすべてにわたる「考えること」のまさにすべてが「哲学」なのですから、 けっこうこれが難しいですね。

 これこそ大反省しながら、迷いつつ迷いつつ、この反省の迷路をたのしんでいます(笑)。


 私の場合ですが、「起承転結」のほかには この3点をできるだけ意識するようにして、言葉の組み合わせの世界の冒険旅行を楽しもうと思っています。

 
  勝利と笑理を目指してです。


  きょうは、以上です。


  あしたは、 笑理の宴の 宴の方に笑点をあてたお話となります。

    なにが飛び出してくるか それはあしたのお楽しみに‥


     えーと、ともかく ロナウジーなんとかが登場なのですが‥。


    

 ((編集後記))

 きょうは じつは、ひさしぶりに休みがとれ、集中して書けました



と言いたいところですが、

 なぜか、 書いてる途中で二回も 画面が固まってしまって、
こうなるとネット音痴にはお手上げですから、

 実は実は 合計3回も書き直しています。

添削して書き直したっていうんじゃなく、なさけないことにこんな状態だったんです。


 でも 山や 谷が あってこその冒険旅行ですよね。 命に別状がないならば それ自体楽しまなきゃ。

  というわけでなんとも楽しいできごとでした。

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2007-09-21

ちょいシャレビ哲 第18回 【言葉】(笑理の宴)5

【言葉って何だろう?】

(笑理の宴)5

きょうは、まじめな起承転結のお話です。

言葉って何?というテーマですが、それで言うと、
なんで 言葉を組み合わせてつむいでゆくと(文章を作ってゆくと)起承転結というその言葉の組み合わせの表現力を高めるセオリー(あるいは法則、あるいは定石)のようなものが生まれるのか

というのが今日のテーマとなるわけです。

まず、起承転結という言葉自体の説明ですが、

実は正直言って、いままでその説明を本では2つぐらい、雑誌の中での特集で3つぐらいしか他の人の説明をよんではいませんが、 そのどれもがそれぞれそうとうに異なった解説をしていて、結局 よくは解からなかったのです。

 で、ここでは、哲歌隊長浩流、ぶっちゃけまとめ流でまず説明してみます。


起は、 文章を「起こす」、さらにはテーマを「起こす」。
承は、 「起」を「承って続けてゆく文」。
転は、 もういちどクライマックス的にテーマや起こした文を「転がす」。
結は、 転がした文を「結ぶ」 印象付けるように「結ぶ」。

 「起こす」「承る」「転がす」「結ぶ」と憶えていいのではないかと思います。

 まずそう憶えてしまってください。

で、 その一番最初の文を書き始めるところですが、実はここが一番肝心なところとなります。

「起こせ」ば、あるいは「起こすことが出来れば」文という言葉の組み合わせは自動的にも(あるいはその勢いのとおりに)すぐにでも「承転」して「結」ばれる というところがあるんです。

つまり 書きたいテーマがはっきりしていて どうしても伝えたくって、書き始めるとその文は自然にも「起承転結」という形になってゆくということでもあるということになります。

 もっと言えば、伝えたい哲学をどれだけ持っているか、そして、それを伝えたい人へのフレンドリーさをどれだけ身に付けているのか、この二点こそが実は文章のすべてだ ということにさへなってゆくとも言えてしまうということになるんです。

 ほんとうの幸せとは何なのかを知っていること、あるいはどれだけそのことをさまざまに考えてきたか必死に想像力を働かせて世の中を見て来たか、そしてその幸せを また幸せをめぐる考えや方途をどれだけ人に伝えたいか

本質的には、このことに尽きてしまうわけです。

 ほんとに言いたいテーマから文は「起こり」ます。 起承転結の「起」ですね。

 細かくは テーマと逆さまの表現から「起」を起こすテクニックとかもあり、 「順(テーマどおり)」「逆(テーマと逆さま)」とかの名前がついていたりしますが、  テーマが明確であって始めて順逆自在となるのですから、ここでは詳しくは略します。

 次にそれを承って そのテーマの理由や証拠を次々と具体的に描写し説明してゆく文が続くのが「承」です。

 そして、いよいよ証拠がそろったところで、あるいは描写がクライマックスに達したところで、バババンともう一度テーマ(言いたいこと)を文として転がしてゆくのが「転」ですね。

 それを 転がしておいてドカンと穴に落としたりして(どんでん返しとかでです。)最後に文全体を印象付けて幕を降ろすのが文の結びのテクニック、つまり「結論」の部分出もある「結」というわけです。

 いっきに書いたので必ずしも解かりやすい説明とはなっていまいかもしれません。

 でも、ここで言いたかったのは実は「起承転結」というセオリーは、文を書くときの絶対的なセオリーだというのではなく、  あくまで文を練習するときの基本として有効だという点にすぎないという事なんです。

 「起」の無い 意味ある(あるいは意味の深い)文章はありませんが、
「起」だけで、人の常識を動かし、人に語りかけ、友のこころに訴え、余韻をその文人の魂に刻み付けてしまうような文というものもあるかもしれません。、

 よけいなクライマックスや機転を転がさないでまたどんでん返しとかをきどらないで、 すばりテーマとその説明だけで終わるほうが、フレンドリーであり深く伝わるという場合もあるでしょう。

 でも練習する時間があるのならば、この「起承転結」という文の定石は、その練習の基礎として、そこに何度でも何度でも立ち返り行くべき大切な文のふるさととさへ言えるパワーを持っているとは私は思っています。


 もちろん、大事なのは結局「ちょいシャレビジネス哲学」をどれだけ身に付けてるのか これがすべての起承転結の要となるわけなのでででで(うまく続けられませんが(笑))→ (へんな転結より)

   ということでまとめさせてください。

 起笑転結の結となってしまったようですね。



((編集後記))


最初に「こどもにもわかりやすい哲学」と銘打ちながら、 添削の時間も無くバーーと書いていて、 言い訳となってしまいますが、なかなかそのへんフレンドリーな文になってないと思います。

 でも、できるだけはわかりやすくと心がけています。  


応援をよろしくお願いします。

               哲歌隊長浩、こと中村浩
 

 

 

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2007-09-20

ちょいシャレビ哲 第17回 【言葉】 (笑理の宴)4

【言葉って何だろう?】

(笑理の宴)4

きょうは、朝 まるっきり時間がとれなかったので、
今 昼飯を書き暗いながら、書きはじめました。

 言葉って何。 というテーマのカテゴリーにて、
その一番最初からほとんど即興で始めることとなり、

笑いが副テーマであることから 破破破と思いっきり

ともあれ出発したこの(笑理の宴)です。


でも、正直言って、辛いです(笑)。

こんな状況下にて、ネット音痴の自分がこんなことを始めて、‥、と

つい弱気にもなりますし、ふとそんな資格があるんだろうかとさへ思ってしまったときもありました。

でも やはりやるべきことはやるべきことですし、成せば成すまで成す道を
始めたら最後までやりぬくのが筋ですし、

 即興だからこそ、

たしかに言葉が主題でもあるにも関わらず、一番最初から読みにくくもなってしまったかもしれませんが、 それでも読んできださった方には、それなりの面白さも提供できているのではないかと思います。


 ビジネスブログでもあるこのブログです。経営者の方々はもっと辛い状況をそれでも一刻の猶予もなく さらにきびしい立場で意思決定を迫られる時もあるでしょう。こんなことで負けていられません。


 笑いの世界って、生活の中では、けっこう四六時中おもしろおかしくしてるよりも、 ふと

ほんのヒョッとしたコとが、ほっとするほのぼのとした笑いにもつながったりします。

 真剣にいきているからこそ、そんなたあいのないユーモアとかが心にしみいったりするんです。

本物のヒョットコ踊りを観たことがありますか?

ほんものは その修行に10年はかかる世界だと聞いています。

テレビでそれを見たことがあるのですが、周り中の人がおなかをかかえて笑っていました。 心の底 腹の底からおかしくてたのしくてしょうがないといったふうな笑いでした。 (お笑い番組の笑いと明らかにちがうところがあったのです。)

 これ、たぶん、生活の中でのほんの 石につまずいただけでも笑い合えるような心と心の通じる人達の間でのあのほんのヒョットしたコのような笑いのしぐさを集めたものだからではないでしょうか。

かどうかは ともかく、

 こうした 笑理もまたあるのであり、

時には こんな真剣な辛い道すじもまた 笑理の宴に通じてはいるな
と思い、  きょうは このことのみの文でまとめてみました。

辛くでも その字(地)の上に、一という字を書くならば、一筋にがんばる道をゆくならば、
きっと幸せとい名の笑理の宴はやってくると おたがいに信じましょう。

 いや、辛くてもなお、一筋にうちこめること自体、もうそれは幸せのうちなのでしょう。

 今は、そのようにも思える年頃となったようです。


 きょうはここまでとさせていただきます。

  あしたは、やはりまじめなお話ですが、起承転結と文章のお話です。


           よろしくおねがいいたします。


((編集後記))

うむ きょうは よくやった♪

自分で自分をほめてあげたいです(どこかで聞いたことがあるなあ)

時間の無い中で、今十分前、 ゆとりです。

 ヒョウットコうして、なんとコーヒーを入れて飲んでます。

       ご褒美に一息うつかせてください。


           では、 また あしたをお楽しみに、


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2007-09-19

ちょいシャレビ哲 第16回 【言葉】(笑理の宴)3

【言葉ってなんだろう?】

(笑理の宴)3

昨日 紹介しました「夢の実現(ツキの十か条)」という本の著者であり、
ブリキのおもちゃコレクターとして世界的に有名な北原照久氏の
その本の中の


 きょうは、有意義な言葉の組み合わせパズルと関わる、とても有意義な北原氏の作られた造語のお話です。

 
 北原氏はその本の中で
「ツキの十か条」は、それこそ、昨日書きましたような意味合いからも「シンプル・イズ・ベスト」と言えるシンプルなベスト整理がされている哲学だと思うのですが、

 さらに、その十か条は、北原氏の、まさに「夢を実現」してきた人生を要に総合化され、その一つ一つの箇条の意味合いその価値の世界を超えて、全体がそれぞれシナジー効果(相乗効果。相乗的にお互いの箇条がいかされあって全体がさらにいきいきしているという効果)で さらにすぐれた命を宿している点に、 北原氏のその本の最大とも言える特徴の一つがあります。

 ですので、その全体の説明は、きょうの紙数では書けませんから、きょうはそのうちの3点、3か条にしぼって書かせていただく形となります。


  4箇条目の「関心」 と5箇条目の「感動」と 6箇条目の「感謝」

この三つの「ツキを呼ぶ」観点についてのくわしい解説は、まずは実際本を買ってその全体を読んでいただくのが一番なのですが、

 北原氏はそれを十か条の中でも特に大事な点として「ツキを呼ぶ三カン王」としています。

 「さんカン王」の「3カン」は、1関心の「関」と 2感動の「感」、3感謝の「感」 の3つであるわけです。


 そこを北原氏は、まさに「夢を実現した」いきいきとした楽しい人生の境地から真心の深いフレンドリーさで、語っておられるので、それでこうした要約ではなくて、実際の本をこそ読んでいただきたい気持ちになるところなのですが、
 この3点を哲学のほうから語ろうとするならば、ここでは簡単にですが(
実は次のカテゴリー内に詳しく書く予定となってます。) 

 1と2の「関心」と「感動」の二つの深まりがあって3の「感謝」が生きてくるという点、この点を強調したくなるところなんです。(それもまた
詳しくは、先に延ばさせていただきますが)

 人への感謝の「「まごころ」」からのリスペクト(尊敬心)が無い、単なる礼儀上やお題目上の感謝では、ツキをよべるような「感謝」にはなりがたいということなのですが、

 その「「まごころ」」を育てる源泉のようなものが1と2の「カン」にはあるということです。

 すごい造語だと思いませんか。

 「3カン王」これはまさに、ブリキのおもちゃコレクターのあのなつかしいブリキの缶を連想させる 北原さん自身のことでもあるわけです。


   尻切れトンボのようですが、 急ぎの用ができてしまいましたので
きょうはここまでです。

            あしたのこのブログもお楽しみに♪


 

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2007-09-18

ちょいシャレビ哲 第15回 【言葉】(笑理の宴)2  

【言葉ってなんだろう?】

(笑理の宴)2、

きょうは、まじめなお話から始めます。

ブリキのおもちゃコレクターとして世界的に有名な北原照久氏をご存知でしょうか?

 テレビの「なんでも鑑定談」でしたっけ、それにも出てくる人です。

顔を見れば あっあの人か と思うかもしれません。

 その北原氏の書いた「「夢の実現」(ツキの十か条)」という本が面白かったのでここにお勧めしたいのです。 

 この人も言葉をとても大切にしています。 言葉について考え それを誰にも解かりやすく面白く文章化もしている言葉の達人でもある人です。

 単純明快な ほんとにわかりやすい本ですが、これこそ「真実は ほんとに解かってみれば単純だ」という言葉そのもので、 実はこれをこの「ちょいシャレビジネス哲学」で解説でもしたら、何100冊もの本ができてしまいそうなほど内容の濃い本です。

ですので、その内容については、このブログでも 今後何年にもわたって少しづつ書いてゆく形になるかと思います。

ここでは その中のある漢字の解説の部分と、あるおもしろい造語の部分を書いておきたいと思います。


 ちょっと その前に 昨日美空ひばりの「柔」という歌の歌詞の最後の部分をふと忘れてしまったので 付け加えておきますが、

一番の部分の最後、「‥この胸に一生一度を一生一度を待っている」と終わる部分の 「待っている」というところをふと度忘れしてしまったのですが、

 これはたぶん「を」というところを、ふと「の」と書いてしまった故に、その一字に影響されて 頭の記憶領域の神経にかく乱がおこり、 急いで書いていたために、その言葉が出なくなってしまったようなのです。

 コンピューターの0と1が作り出す言語記憶の世界と違って生身の頭脳の言語の世界は そんなふうに神経によっていろいろ影響を受けています。
言葉の探求の世界では とても大事なことなので憶えておいてください。(
すごいいい訳ですが(笑))

 でもこの「 一生一度を待っている。」という文章って、それだけでは何を待ってるのか解かりにくいと思いませんか?

 もちろん、生涯をかけて「柔の道」を一筋に追及してゆく深い決意、その途中でどんな失敗や負けを味わっても 最後に自分のその道の完成だけを「夢」みて、そんな勝ち負けにとらわれる心にこそ勝って、ゆるぎなく「柔」の本道を歩きつづけてゆこう。 といった意味合いで解釈されているところであるわけです。

 そのような人生の応援歌として、それを詩人がその曲を深く理解して単純な言葉の真実から書くと「一生一度を 待っている」という文となって生まれたのがその文なのだと思います。

 あ破破 とか「笑笑、笑いを」とかの大衆的造語と違って もっと奥の深い言葉の組み合わせの世界です。

 それを美空ひばりがまた、すばらしいうたい方で人生の応援歌にしているところが、うれしいところです。

 上記の北原照久氏は、漢字の「辛い」という字について、 そこにたった一本「一」という字をくわえたら、「幸」という字になる。

 という面白い漢字の成り立ちの世界をいきいきとその本の中で語っていますが、

 それをここでは、艱難苦難、辛い人生辛い道を乗り越えて、それでもただ一筋「柔の道」をあゆみつづけ「幸せ」たった「一」の字を歩み続けることで、「生涯歩み続けることで」得られるのだ
 
 というふうに解釈しておきたいと思います。

 (さらにすごいいい訳となってもしまいました(笑))



  きょうは ここまでです。


   あしたは、北原氏の本の中に出てくるそれこそ有意義なある造語のお話です。   

      お楽しみに、    よろしくお願いします。


           哲歌隊長浩 こと中村浩。


 ((編集後記))

 きょうの本分は まじめなお話でしたので、ここですこしふざけておきますね。

  この哲学ブログでは、物事をこのように少しづつ少しづつその謎や闇を破りながら切り開いてゆきます。

 少しづつ、 少しづつ、  けれど笑理の日を生涯もとめ続けながらです。

 生涯待ち続けながら‥。

 破

 破破

    破破破    


       破破破破破破破破破

                  すみません(笑)

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2007-09-17

ちょいシャレビ哲 第14回 【言葉】(笑理の宴)1   

【言葉ってなんだろう?】

(笑理の宴)1

けっきょく、何を書こうか、考える時間が無かった。

肉体労働者のサラリーマンは、ほぼ現場に左右されてしまうから連休にもやすめなかったりする。

 昨日も今日も仕事が入っている。

昨日は なんとか(はじめに)の手直しをして、それで精一杯だった。


 でも おかげで、今朝、

今朝になってふと、 そうだ「遊び」から入ろうという考えがひらめいた。

もし、これが、じっくり今までの膨大な思索をそれなりに検討しなおしてからおもむろに書き始めていたら、 きっともっと堅苦しい言語学から始まっていたように思う。(なにしろ 大衆哲学とはいえ、天下の「哲学」のブログなんですからね。)


「言葉ってなんだろう?」というカテゴリー名を思いついたのも、ついさっきのことだ。

 では、では、

では  始めてみたい。

あの、 これは、 あの、

まず言葉の、こんな実験から始めてみたいんですね。

な  なにを書くのか まったく考えないで、 (もちろん今まで多くのことを考えてきた上でのことではあっても、)いきなり言葉を記してゆくといったいどうなるのか?

それは、さっきひらめいたばかりの「(笑理の宴)」とかいう題にそってなのですが、

おもいっきり書き出し始めるとどうなるのか?

破破破、破れかぶれでいきますか。


 みなさんに、わたしは笑理して欲しいのです。 ただの勝利ではなく、こころの底から笑える笑理をして欲しいのです。

 もちろん勝利もしてほしい。 人生に勝って欲しい。せっかく「哲学」の道にやって来たのだから、最高に勝利してほしい。

 でも美空ひばりの「柔」という歌にあるように、「勝つと思うな思えばまけよ。、負けてもともと。 この胸に一生一度の一生一度の」うむ、 なんだこれは 歌の師匠がふと歌詞を忘れてしまいましたが、 ともかく最後に勝てばいいんです。

そう思える道をおもいっきり進んでさへいるならば、たとえ負け続きであっても笑うことはできる。  それ自体が笑理の道でもある。

もちろん、 自分だけの勝利では、心の底魂の底からの笑いは起こらない、ほんとうに人間的な勝利とは何なのか、この哲学こそ、笑理の道なのである。

 笑理なんて言葉は、もちろん無い、もしかしたら日本史上始めてここにて記されることになった言葉かもしれない。

日本史上始めて、ついさっき私という人間の頭脳の中にひらめいてしまった言葉なのかもしれない。


こんなことまじめに考えて造語したのならおかしくもなんともないけど、パッと作っちゃって、こうして書いてみると、それなりに味があっておもろい新語のなったかもしれません。

有意義な言葉あそび とは笑笑なっているでしょう。

言葉は、記号でもあるのでこんなふうに言葉と言葉の組み合わせパズルにもしてしまえるわけです。


はて、ふと思いついてこうした言葉が、そして文流れが生まれたのですが、それは何故なのでしょう。

それは、ひとつには、私の中に、読者にたいして、せっかくここを訪れたのだから幸せになって欲しいという気持ちが書く心の裏にあったからです。

そういう想いから文章は生まれます。言葉の組み合わせもそこから生まれます。 起承転結についてはもう少し後に書きますが、それもこの「想い」があれば、自然な流れでもあるんです。

もうひとつには、 すでにそれに類する考え方が私の中でまとまっていたということです。 だから即興のその場にてもその中から新しい考えとかが言葉となっていきなりにもつむぎ出されたわけです。

これもまた 過去の思索とあらたな造語、新たな文章との組み合わせの技です。

とすれば、言葉とは、すべて、組み合わせパズルで出来ているというふうにも考える事が出来ます。


 あとは、思いっきり、何が書けるかも解からない不安さへ打ち破って、わっ


 わーーーーーっとおもいっきり書くだけ それで今日の文は書けてしまったんです。

それを言葉パズルで最後の遊んでおくとですね。


 わーーーっ破っ破 破 破 破 破 破破破♪  破破。


    以上、

 しばし、この調子でいきます。   では  あしたもお楽しみに。


((編集後記))

 暑さがぶりかえしましたね。

でも もう9月中ほどです。 もうそろそろ寒くもなっていくでしょう。

 このブログは いよいよ 熱くなっていきます。

冬も なさそうですね。

 ご期待を。


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2007-09-16

ちょいシャレビジネス哲学会  第13回

(はじめに)13

きょうは日曜日ですので、
昨日書きました‘この「始まりに際して」’の部分、(はじめに)の部分の、編集の手直しを出来れば今日中にやってしまおうと思っています。

 その内、 一番最初に書きました39基金については、今全面的に変えようと思っています。

 人間お互い様ですから、助けて欲しいときには「助けてください」とお願いしていいんです。

 今の私の状況は、経済的にマイナス状況下、本一冊もなかなか買えない状況下にあります。  努力しなかったからではなくすでに書きましたところの専門的な努力をむしすぎたからとも言えるのですから、 胸を張って、正しいこれからの道のために、みんなが払えるお金を応援基金として設定してもおかしくは無いところです。

 仮クロージングの場合、これをビジネスのスキルとして最初に行いますが、ビジネス哲学としてそれがまとまってもいるブログならば、その例に習うことも面白いところかもしれません。

 でも「知識」の検索の殿堂、グーグルのサービスが無料である時代にて、この「知識の中の知恵の部分」を扱う「哲学」の誰にも解かりやすい世界をここに総合的に集めてゆく、まさに哲学(考える)という作業なしにはなしえないサービスも、 

これも無料化の時代が来るという哲学が自分という人間の頭脳の中にはあります。

 ならば、どうせなら、この仕掛けにはたったの39円さへ取っ払ってすっきり無料サービスの形にしようと思ったのです。

 この時代における情報販売のあり方には、さまざまな見解があるでしょう。

 しかし、ここは、徹して本来の哲学のもつ「和」の力を生み続けてみることに集中すべきではないかと思えてきたということです。

 そこに「和」の力があるならば、それが直接のリスト化(顧客獲得化)には繋がらなくても、  そこからいくらでも将来はリスト化への導入も仕掛けてゆけるわけです。 (もちろん、これを読まれている熟読者のかたも、これを利用、活用できるようにやがてなってゆくはずです。)

私には 今、お金が必要です。  正直「83歳の母を一度は母のあこがれであった京都につれてってあげたい」といったことでは、個人的にもお金が欲しいです。

ただ、もし母が割きに亡くなれば、 私個人には物的な欲望はほとんど無いです。 例えば、学生用のワンルームマンションとかがあれば、それで天国という感じです。  それは、私の中には「心の宝物」がつでにあるからなんです。   

 逆に言えばそれだけのことなんですが、個人的にはほんとにお金を欲しいと思わないでいられる状態の人間です。
 
 でも今は  お金が欲しいんです。 おそらくどんな貪欲な人にも負けないぐらいにです。 そのうちに解かってもれえれば言いことかもしれませんが、 だからみんなに助けてもらいたいんです。

 人間は哲学する動物です。 ですからこのブログを読み進めてゆけば、きっと人は魂から感動する日が必ず来ると思っています。 またそこからあなたの成功の糸口もつかめるかもしれません。  そしたらでいいです。

 そうなってからでいいです。  このブログ、そしたら、人に伝えてください。 あなたの力で人に伝えてください。どうかお願いします。


  前書きがながくなりましたが、 今日書こうと思っていた文は、上記の文と重なります。


☆ ポータルサイト内核ポータルサイト


ヤフーもグーグルも 多数のQ&Aサイトも、そこにはありとあらゆる「知識」が詰まっています。
 
 「知恵」も その根元は「知」という大地で出来ているとも言えます。

深く考えればその逆も言えるのですが、それは本文にゆずります。(本文の最初のカテゴリーは言語をめぐる哲学ですので、最初のほうで書くことになると思います。)

 しかも そこに集まった「知」の世界内には、すでに多くの「知恵」の世界も集まっていて、我々はそれをも検索可能な状態に置かれています。

 すばらしい時代の可能性はすでに開かれているんです。

しかしながら、同時によほどの「何からも学べる知恵者」でないかぎり、多くの人にとってガラクタとしかならないような知識もそのポータルサイトには山のようにすでに積み重なっているわけですし、

その知識の山から さらに有効、有益な情報を引き出すためにも「知恵」の部分、考えるという作業の部分、「哲学」の部分が必要となってきていることは明らかです。

 言ってること難しいでしょうか?

 たぶん中学生の方でも 言ってる意味合いはすくなくともなんとなくは解かってもらえるのではないでしょうか?(本文は もっと解かりやすく手順を追っておもしろく書いてくつもりですので お楽しみに。 でも この部分もなんとかついてきてみてくださいね。)

 ただのポータルサイトだけでは、ほんとうに「知」を生かす道としては足りないような世界に 私たちは突入してるはずなんです。

 哲学は、すでにかきましたように、みんなのものですし、また、一人の力だけでそのサイトが完成するわけではありません。


 しかし、それは同時に、知恵も含んだ知識である「本」の世界の幅広い活学者たちだけが、 そのサイトのきっかけづくりにふさわしい作業者であるとは かぎらないんです。

 その知識も知恵も、じつはたった一回限りの人生の繰り返しの積み重なりを捉えて 「より生きた知恵」となってゆくという  ちょっと機械の進歩とはまた違った人間の想像力の中にあるものです。

 むしろ肉体労働者とか失敗につぐ失敗をしてきた人とか、あるいはどん底の人生にもまれ、いじけきってもしまって、それでも立ち上がってきた人とかが、 やがて生活を総合的に見つめられるようになったときに、そこにその核の部分のきっかけをつくる力が生まれるとわたしは思います。

「夢」にむかってただひたすら、純粋にいきつづけたような人にもそのパワーがいつしか育っているでしょう。

 わたしの場合は どん底からそれが見えています。

 そのどん底からわたしが這い上がれるかどうかは別です。

でも、わたしも、そのきっかけ作りに関しては はっきり言いますがその資格者のひとりなんです。

みなさん、 私を助けてください。

ここに、みんなの力で、知恵のポータルサイトを構築していきませんか「考えるという作業をとおして」「解かりやすい哲学の道をとおして」 。

核ポータルサイトと言えるものを みんなの力でここに創造してゆきましょうよ。

 よりすばらしいIT文化の明日を目指して、 「希望」あふれる未来をめざして、    


 未来の子供たちのために、  すべての子供たちがすべての音楽を最高に聴く日が来ますように。


 唇に歌を 心に太陽を、頭脳に「哲学」を、大地にビジネスを、隣に「友」を。


             以上です。


               哲歌隊長浩 こと中村浩より、


追伸

  わたしは、子供の頃 

いじめの一種にあい、体をこわし、死の床を何度もはいずりました。

その過程には、二度ほどですが、実際に気が狂うという体験もしました。


「気が狂う」
 体験してみなければ、これは解りえない世界だと 私は思っていました。

しかし、まず最初にこの思いがくつがえされたのは、
黒澤監督の「赤ひげ」という映画を見たときです。

 その中に気のふれた女の子が出てくるのですが、 はじめて赤ひげ先生がその子を見たとき、彼女はけだもののようにキッとふりかえり赤ひげ先生をにらみつけます。

 これ、 憶えてるんです。  はっと私がわれに帰った時、その「あっちの意識状態」の真っ只中では人間じゃなくなってる感じですが、また苦しくもなんともないですが、 はっと気がついた時 そのすべてを思い出せるから、 その時に一番苦しいんです。みじめなんです。  

こどもごころにも どんなにみじめだったか。

 でもです。 だれが演出したのか、私がそうだったのとまったく同じしぐさでその子役の女の子は その気の触れた状態を演じてました。

 高校のとき観たんですが、 涙が その瞬間 ほんとに滝のように流れてきました。

 まさか その演出者や子役もそれを実際に体験したわけではないでしょう。
   すごいですよね。 人間の想像力って。


わたしは、いつしか 「考える人」となっていました。

 無い頭で考えたからこそ、誰にも解かりやすい思考の道を迷いつつ、苦しみつつ、間違いつつ それを乗り越えつつ、 はいずるながら、 この当然のあるべき哲学の道、だれにもわかりやすい哲学の道筋をたどれたのだと思うのですが、

 時にはわたしは、

 あることが解からなくて 悲しくて悲しくて悲しくて 酒を浴び 夜中中に血をはいて、泣きながらなにかを叫び待っていました。

 気が狂ったのではありません。 体験者だからはっきり言えます。 

その逆です。

 ほんとうにこの存在、この命のある根源を知りたかったのです。


やがて、力尽き、朝方

 わたしは ただ ぐったりしていました。

 もう声もでません。

 ただ ただ 静かでした。

 でも そこには、けれど 何もありませんでした。

 ここまで必死でも   なにも  なにも、  なんにも 答えは無かったんです。


 ただ、生きてる自分が もうぐったりしつつ、そこに静かに静かに静かに生きてるだけ、そっと心の中で「悲しいな」とつぶやきながら。


 バカですよね。 哲学バカですよね。 「考える人」バカですよね。


そうです。 バカだからこそ、 そこまでの道をあるってきたんでしょう。

 このいっしょうけんめいさ、 わたしにはほかになんの資格もありません。

   でも 今 わたしは、

 だからこそ、この「核」の 知や知恵の「核」のきっかけ、哲学の和のきっかけづくりの、いつしか そのリーダーの資格を手にいれてる自分を自分で見ることが出来るようになってる自分に気がついたんです。( ふ 複雑な言い方になってしまいました(笑))

  応援してください。

 どうかわたしを応援してください。

 今ブログは 銀座の一等地に店をだすのとは違います。 
 当時ならば 内容が光ってれば そのまま表にも光がとどいたでしょうが、今は、 

 この「山」の中、  どうしても、この機械音痴の私には、みなさんのご協力が必要です。

      あなたのお力をお貸しください。


            よろしくお願いいたします。  


   それでは あしたから、いよいよはじまります。

      ご期待ください。   お楽しみに。






 

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2007-09-15

ちょいシャレビジネス哲学会  第12回

(はじめに)12

昨夜、はじめて今まで書いたところを読み返す時間がとれました。

時間の少ない中でほとんど即興で書いていることによる、へんな誤字脱字もあり、 そのへんは、編集しなおしたいなと 思っています。

即興で書く事には、「勢い」という利点もあるところ、 やはり、単なる日記ではない哲学のブログですので、何度もじっくり検討できたり、本のように読み返したりできるような文である必要も多分にあるかと思うのです。

また、 この(はじめに)は、これから書いてゆくところの、本にすれば何十冊にもなってしまうだろう量の全体像を書いているところです。

これを 準備無しに(これは現在私が使ってるPCは、ワードとかで書き溜めておいてここにコピーあんどペーストする方法が、出来なくなっているためでもあるんです。 以前は出来たのに、こうなると機械音痴でPCの苦手なアナログ人間にはお手上げなところなんです。)、時間が無い中で書き進めたものですので、

 そのへんどうか ご了承ください。 本文では、そうした後からの書き直しという点は少なくなるかとおもいますので。


「巧緻より拙速」という言葉があります。

きびしい状況下で、だからといって「始めなければ始まらない」という崖っぷちにて、 まず始めておいてから、後から手を加え後から完成度を高めてゆくという方途はいくらでもあるはず、

 この経営方式、意思決定のあり方をこの出発の在り方として選んでいるわけです。 

 で、 このブログの性格ゆえに、後からこの(はじめに)のあたりの編集等には手を加え書き直させていただくという事でもあるんです。

 こんな長いものをすでに読まれている方は、おそらくサイレントマジョリティー(静かなる熟読者、と今は簡単に訳しておきます。)でもある方々でしょう。

 ほんとに申し訳ないところですが、 繰り返しますが、どうかご了承ください。


  さて、

きょうの分の文ですが、

イソップの「北風と太陽」の物語についてです。


 簡単に書きます。

 北風と太陽が、コートを着た旅人が歩いているのを見て、「どちらがあの旅人のコートを脱がせられるか」競い合う物語です。

 有名な話ですので知ってるかたは大勢おられると思いますが、一応書いておきますね。

 まず北風がビュービュウと風をおこし、コートを吹き飛ばそうとするんですが、強く吹けば吹くほど、旅人はコートが吹き飛ばされないようにしっかりと両手で抱え込んでしまいました。

 そこで太陽の出番となり、太陽がほどよい暖かさを送り込むと、旅人はすっかりくつろぎ、コートを脱いで、そばの大きな石ころの腰をおろしました。

 とさ。   というお話です。

そんなあたりまえの単純な道理の寓話なのですが、これって人類規模で大勢の人がなぜか気がつかないできた真理であり心理ですよね。

 対立すれば、相手はコートにしがみついてしまうんです。 「和」が、「思いやり」が、また実際に「与える」という行為が、みずから相手を行動させる最大の説得の道なんだということのたとえとして、 

単純でも、こんなに力強い明確な解かりやすい例えはほかに無いということでも世界的に有名な寓話です。

 既に、書きましたように、このブログはただのビジネス論ではなくて、ビジネス哲学のブログです。

 本来の哲学は、これも書きましたように、根源からの人と人との結びつきを作り出すものです。 こうして「存在してる」という現象をどこまでも突きつめるということが、おなじように存在している別の脳と脳との間に、ソウルメイト現象を引き起こしてゆくものです。  

つまり読むだけで 読み進めてゆくだけで、わたしとあなた、また読者と読者は「魂からの友現象」を引き起こしてゆくということです。

 馴れ合いの友ということではないです。  反省し進歩しつづける人間と人間との間の「友」ということです。 

「見つめ考える」という人間に与えられた力を活用して、この凡人の生身の存在でありつつ、時にはきれいごとには生きられないまま、ありのままにも
それでも反省し進歩してゆく  人間の人間としての「和」の道筋を 自動的に明らかにしてゆくのが哲学の道だと私は思っているんです。

つまり 哲学とは本来「太陽」だということなんです。

詳しくは これから長い長い間つづけてゆくことになるかと思われる本文にということで、  概略説明ではここまでとし、

 あしたいよいよ 最後のまとめを書いて あさって本文に突入しますね。

       では、きょうはこのへんで、

 
          哲歌隊長浩、こと

((編集後記))

 いよいよ 本文まであと二日です。

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